最近物事の背景に目を向けるのってめちゃくちゃ大事だと思うのでそのことについて書いてみたいと思います。
例えば家の広告とか見てると,「今応募したら当選者一名にモデルハウス500万円で販売します!」みたいなこと言ってる大手企業さんのCMがあるんですね。
普通に家って3000万とかしますから,それってめちゃくちゃお得な話に聞こえるじゃないですか。
でも実際にはそれっていうのは,
「家欲しいと思って応募してくる人たちの個人情報の方が欲しい」
っていう企業側の思惑が背景があるわけなんですね。
だから私はそれ応募したらめちゃくちゃ電話とかDMとか送られて逆に面倒臭そうだなって思うんですよ。
当選するメリットよりも個人情報取られてアプローチされるデメリットの方が私は嫌なんですね。
他にも家の見学とか行くと,多くの住宅メーカーが3千円のクオカードとかくれたりするんですけど。(行くだけで三千円貰えるわけですから,これはお得ですよ。)
でもそれも背景をよく考えたら,メーカーが払っているというよりも,「すでにそのメーカーから住居を買った人」から支払われているわけですよね。
だからこのメーカーから家を買ったら余分な金まで払うことになるんだなって考えるとけしてお得ではないなって思ってしまうのです。
こういう事ってCMだけじゃなくて色んな事に言えると思うんですよね。
例えば歴史を見ても福沢諭吉は「学問のススメ」で「学問をするかどうかで人は差がつく」っていうことを言ってるんですけど。
実はその言葉の背景には自分が創立した慶應義塾に人を呼び込みたいっていう思惑があったわけなんですね。
このように物事には必ず背景とか「根」みたいなものがあって。
我々が見えるのは表に出てる部分だけなんですよね。だからその根を見ることで初めて全体像が理解できるわけです。
そしてこれは教育をする上でも非常に重要な考え方だと私は思ってるんですよ。
子どもを見たときに,その背景を考えられるかどうか。
例えば私はしょっちゅう家庭環境調査票といって子ども達の家族構成なんかが載っている個人情報の凝縮みたいなものを見るのですが,何かあった時にそこ(子ども達の背景)を見るととても納得することが多い。
例えばある子が「家族で食卓を囲む絵」を書いて,賞を取ったことがあったんですが,その子は家庭環境が複雑で家族と暮らしていないんですね。
だから,その絵が「こういう風に家族で食事がしてみたい」っていう彼女の背景の上に書かれているのだと思うと,私はすごく涙が出そうになりましたし,声掛けもちょっと変わってきますよね。
このように表面だけでなく,背景にあるものを考えるというのは相手を理解する上でも非常に重要だと思います。
来年もコロナが続けば今年以上に子ども達の背景が複雑になっていくでしょう。
そこを少しでも理解して,よりよい教育活動が出来たらいいなと思っております。
まぁ来年も頑張ります。
本日も読んでいただき,ありがとうございました!
追伸
今年一年も本ブログ「あそこで熊が踊ってる」を読んでいただき,まことにありがとうございました。
公務員が文を書くというのは立場上なかなか難しいところではありますが,私にとって文を書くというのは癒しであり,探究であり,なかなかやめられないんですね。
これからも細く長く続けていけたらと思っておりますので,来年も読んでいただけたらと思います。
今年一年誠にありがとうございました!