最近こんな本を読んでいたんですね。
不登校傾向の生徒は必ずどこのクラスにもいるので、教員としてちょっと勉強しておこうと思ったわけです。
不登校への対応についての記述は別の記事で紹介するとして。
私が気になったのは,この本の中では生徒の心を
コップ
に例えていて。
みんな心にコップを持っていて,その心のコップを水で満たしてあげると不登校の子は動けるようになると。
だから我々大人はその水がたまるように本人の様子を見ながら褒めたり認めてあげたりして、コップに水を注いでいく必要があるようです。
そうやってたまった水をエネルギーにしながら子ども達は行動を起こしていくと。
同じように子ども達の心をコップに例えている本に以前出会いまして。
それがこちら。
大阪の「生徒指導の神様」みたいな先生の書いている本なんですけど。(陸上ですごい成果を残していた方です。)
この先生も本の中で子どもの心をコップに例えてるんですよ。
どんなに指導しても子ども達の心のコップが逆さまのままだと水が入らない
と、そもそも人の話を聞ける状態でないと何を言っても指導が入らないとその難しさを書いているわけですね。
つまりですね、これらの本からいえるのは、
教育とは子供達の心のコップを水で満たしていくような営みである
ってことがいえると思うんですよ。
実際に私も教師をやっていて褒められたり認められた子がどんどんいい表情になってきているのを見てきたので、本当にその通りだなぁと思うんですよね。
ただ,最近の教育の問題っていうのは、
子どものコップに水を入れることで教師側のコップが乾いてきてしまっている
ってことなんだと思うんですよ。
教育に求められることの多さに現場の悲鳴が上がってるわけです。
人によってコップの大きさはそれぞれですから,コップが大きくていっぱい水持ってる人とかはいいと思うんですけど、そもそもコップがそんなに大きくない人もいるわけでしてね。
さらに子どもが生まれたり家庭をもったりすると家庭にも水を注がなければいけないわけなんですね。
今日奥さんから言われた言葉。
— 大仏先生@ほぼ毎日ブログを書く教師。 (@sunostrism) 2019年10月11日
「何で土日まで子どもと私をおいて部活に行く必要があるのかわからない」
「大したお金にもならないのになぜ部活をするのか」
「その子達が進学してスポーツ続けるわけでもない。だったら自分の子の面倒を見てよ」
…正論すぎて辛いわ。
最近こうつぶやいたんですけど,結構反響と共感の声をいただいて。
改めて今の教職っていう仕事の難しさを感じたわけです。
なので、今考えるべきは
「どうしたら教師のコップを満たせるのか」
ってことだと思うんですね。
教師がもってる水の量が増えれば自然と子ども達にも水が行きますから。
自分がカラカラなのに子ども達を水で満たすなんてのは無理な話で。これこそが今の教育界の最大の課題だと私は思うわけです。
そのためにもまず教師の水の量を増やす必要があるなぁと。
私が思う対策の一つは
業務を減らすこと
です。
そうやって水の量を減らさないようにすることが大切なのかなぁと。
ただし、極端な話、これは「部活を無くす」みたいな話ですから、これだと逆に未来の主役である子ども達に水がいかなくなる可能性があります。
2つ目は、
子どもに水を注いでくれる人を増やすこと
です。
教師だけじゃなくて色んな人の力を借りるしかないですね。
昔と違って地域の力とか家族の力が弱まってますから、どんどん子どもに水注いでくれる人が少なくなってるっていう現実を何とかしないといけない。
そして三つ目。
結局教師も人ですから、子ども達と同じように
どういう言葉がかけられるのか
が大事なのかなって。
これまで以上に教師に管理職がどういう声をかけるのか、
また同僚同士で良さを認めたりしながらお互いのコップを満たしていけるかが大事なんじゃないかと思っている次第です。
このコップを満たさない限り教員の未来って本当に危ないんじゃないかと思うわけです。
誰も望んでカラカラになんてなりたくないですもんね。
なので私も他の先生方のいいところを見つけたら少しでもそのことを言葉で伝えようと思っている今日この頃です。
皆様の職場はそんな心のコップに水が溜まるような環境でしょうか?そして溜めてあげられるような声を自分は発していますでしょうか?
皆様の一助になれば幸いです。
本日も読んでくださりありがとうございました!