最近見たネットニュースでパックンマックンのパックンさんが、「日本人の論理力のなさはジャンケンに起因しているのではないか」と発言していて、そのことがすごく心に残ったので、今回はそれについて書きます。
パックンさんが言いたい事はすごくわかりやすくて、何でもかんでも日本はジャンケンで決着をつけたがると。
けれど、それでは相手を納得させるような言葉を選んだり、論理を組み立てるという作業が無くなってしまいます。
そこが日本人の交渉力の弱さにつながっているのではないか、という指摘でした。
私もこの指摘には納得できます。
じゃんけんには曖昧さを好む日本人の性格がもろに表れているように思うのです。
そもそもルールもよく分からない。
チョキ(ハサミ)は石(グー)を切れないから負け
これはまぁいいでしょう。
紙がハサミに切られるから負け、
これもいいです。
しかし、
グー(石)はパー(紙)に包まれるから負け
これがよく分かりません。
そもそも包まれたら負けなのでしょうか。
高級チョコレートを思い出して欲しいのですが、むしろ包んでる側の方が負けっぽくないでしょうか。
(クシャクシャにして捨てられてますよ。)
なので、私はこれらの指摘から、
学校からじゃんけんを無くしたらもっと生徒の論理的思考力が育つ説
を考えたわけです。
よって毎日定番の「おかわりじゃんけん」は廃止。
生徒達は「いかに食べたいか」をプレゼンし、毎日競い合うことになるわけです。
以下妄想ですが、例として欠席者が出て人気メニューである揚げパンが残ったとしましょう。
このようなやりとりが始まります。
私「揚げパンが一つ残ったんだけど、食べたい人?」
手を挙げたのは2人。
私「よし、じゃあ岡田から行ってみろ」
岡「はい。
私は甘いものには目がありません。
この揚げパンを喉から手が出るほど今食べたいと思っています。
どうかみなさん、私に一票をよろしくお願いします。」
私「次、池崎」
池「はいすいません、皆さんのお時間をちょっとだけ拝借させてください。
私が揚げパン初めて出会ったのは小学校3年生の頃でした…。
初めて揚げパンを食べたとき私はこんなにおいしいものが世の中に存在するのかと興奮したのを昨日のことのように思い出します。
しかし、悲しいかな当時胃が小さく、まだあまり食べることができなかった私は揚げパンを半分しか食べることが出来ませんでした。
それから少しずつ食べられるようになり、中学校1年生になって初めてようやく食べ切ることができたのです。
あの時の感動は今も忘れません。
運動部に入り、今は食欲がさらに増え、私は今日初めて二本目の揚げパンに取り掛かろうとしています。
皆さん、私が2本目を食べた感想を聞いてみたくありませんか?
本当に胃もたれするのか。
それとも美味しく食べてしまうのか。
私はその感想を皆さんに届けたいし、私自身がその二本目の向こう側の世界が見てみたい。
これは私がただ単にあげパンを楽しみたいと言うだけでなく、私自身の挑戦であり、その感想を皆様に届けるのが私の責務だと感じている次第です。
私に一票入れてくだされば皆さんにその感想届けることができます。
ぜひ清き1票を私によろしくお願いいたします。
ご静聴有り難うございました。」
私「ジャッジ」
井上「ジャッジ井上、青、池崎」
神谷「ジャッジ神谷、青、池崎」
小笠原「ジャッジ小笠原、青、池崎」
遠藤「ジャッジ遠藤、赤、岡田」
工藤「ジャッジ工藤、青、池崎」
私「4対1…決まりだ。今日の揚げパンは池崎に。みんなに2本目の向こう側見せてくれよな。」
池「はい!」
ってね。
よくよく考えたら時間かかりすぎるのでものすごい面倒ですよね、これ。
それでも面白そうかなとは思いましたので、機会があったらやってみたいと思います。
本日も読んでいただきありがとうございました。