子どもが産まれてからというものの,公園のありがたさが身に染みて分かるようになった。
特に今のような状況ではもはやどこにも行けないので、公園という存在が大いにありがたいのである。
今日もどこにも行けなかったので,近所の公園に行ってきたのだが、そこに2人の小学生が居た。
この2人がなかなか興味深かったので書いておきたいーーーーーーーーーーーーーーーー。
この2人、プロの私の目からすると,齢にして小5か6ぐらいである。(誰でも分かるわ)
いかにも「生意気始めました」と紙に書いて貼ってありそうな雰囲気なのである。女の子が女子になる年齢だ。かといって遊ぶ場所はまだ公園、そんな年齢の子ども達である。
この2人がブランコに乗りながら,会話をしていたのだ。
話の都合上、その2人をA子とB子としよう。こんな会話だった。
A子「とりあえずさ,私思うんだけど。算数っていらなくね?」
B子は「マジ要らないよねー」
教員であるのでこういう話をされると,どうしても気になってしまうのである。彼女達は更に続けた。
A子「計算は分かるよ?物買うのにも必要だし。でもさ、
図形要らなくね?
三角形とか四角形とかどうでもよくない?」
数学全否定である。
私は思わず、
「いや、お前が今乗ってるブランコの板がすでに四角形だろ!ブランコ全体は三角形で支えてるし!」
とツッコミたくなってしまったのだが、それを言ってもこの年代の子達に伝わらないのは分かっている。なので、娘と2人でゆらゆらする犬の遊具に乗り続けた。耳は完全にダンボである。彼女達の会話がどうなるのかが気になって仕方ないのだ。
A子「あとさ、理科要らないよね。うん、理科一番要らない」
可哀想な理科ーっ!
なぜだ?なぜ理科が要らないんだ?
B子「分かるー!花の観察とかおばさんになってからやれば良いよね」
私の頭にはまさに花を愛でるタイプのおばさんである妻の顔が浮かんだ。
そしてそれを伝えるとキレられるのは間違い無いので、この話は私の心の中に留めておくことも同時に決める。
A子「あとさぁ…社会はさぁ…」
私の頭に緊張が走る。なんせ社会は私の専門教科である。
社会は、社会はどうなんだ?
A子「社会は…
いるよね」
B子「うん、いる」
セーフッ!社会セーフ!!判定、必要!!
私はほっと胸を撫で下ろす。ただでさえ最近はまともに仕事が出来ていないのである。
ここで「社会も要らない」と言われたら私は存在意義を失ってしまうだろう。私、必要とされてるッ!
A子「っていうかコロナも社会じゃない?」
B子「そだね。いや、コロナって理科じゃない?」
A子「あっそっか。じゃあ理科必要か…」
と、いつの間にか理科もその地位を取り戻していたようで安心した。個人的にはコロナは保健ではないかと思ったが,そこは黙っておくことにする。
A子「あとさ、道徳。道徳は一番必要」
なんと。
意外にも彼女は道徳が一番必要だと思っているというのだ。日頃担任の先生はきっと道徳の授業に四苦八苦しているだろうが、「先生のその努力、ちゃんと子ども達に伝わってますからね」とその顔も知らない担任の先生に伝えてやりたいぐらいだった。
A子は更に言う。
「さっきさ,あんたすべり台逆から(滑る方から)登ったじゃん?
あぁいうのも道徳じゃダメだと思うんだよ。
ほら、小さい子のお手本にもならないといけないし」
そう言ってA子はうちの娘をチラッと見たのである。
高度…!あまりに高度なA子のテクニックである。私は驚愕した。
彼女は道徳の話に紛れ込ませてB子に注意を促したのだ。クソ生意気なやつだと思っていたが、案外いいやつかも知れない。
じゃあ、B子はどう答えるんだ?私の興味はB子の反応に移る。
B子は言った。
「道徳だねぇ〜」
響いてねぇッ…!お前、今ディスられてんだよ!!
お前のせいですべり台が今泥だらけなんだよ!!
うちの娘がこれから滑ったら泥まみれになんだよ!!!気付けよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
とまぁこんな会話をブランコに乗りながらしていたのである。
私はこの会話を聞いて、なんと素敵な会話だろうか、と思ったのだ。
そして、子ども達にはこの休校の間に徹底的にこんな暇な時間を満喫して欲しいなとも思っている。
というのも、人間は暇だとモノを考え始めるからである。
昔の人は多分めちゃくちゃ暇だったと思う。きっと星を見るぐらいしかやることがなかったのだろう。そこに星座という概念が生まれたわけである。(あんなもんどうやったって生き物の形に見えるはずがない。暇だからそうこじつけたに決まってる)
平安時代は暇すぎて恋愛しかすることがなかったんだろう。それが歌となり,今や国宝級の文化となったわけである。
だから、子ども達にも是非、大人が用意してくれた何かに熱中するのではなく、自分自身の中をあれこれ思索する時間にして欲しいなと思っているわけである。
そこから生まれたものが,世の中にとって新しい発見になるかもしれないからだ。
ちなみに何も生まれなかったとしても、A子とB子のように,こうやって2人で「道徳って必要かな?」と考えてから受ける道徳の授業はまた少し見え方が違うのではないかなと思うのである。
だからこそ、今の暇な時間にしょうもないことを子ども達には考え続けて欲しいなと思っている。
ちなみに、A子とB子が帰った後に娘が滑り台をやった結果、案の定我が娘は泥だらけになり、私はB子をぶっ飛ばしてやりたい衝動に駆られたのだった。
本当に道徳が必要なのは、私の方なのかもしれない。
そんなことを思った休日である。