教職者K

教育について考えるブログ。

3月11日に思うこと。

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さて今年も3月11日という日がやって来た。

 

私のことをよく知らないまま読んでくださっている方もいると思うので書いておくが,私は今被災県で教員をしている。

 

震災の後にボランティアで入り,それをきっかけにして今ここで教員をやっているわけである。

 

なので,教え子の中にも被災者はいる。

 

今の教え子達は当時小学校低学年だったわけだが,その時の様子はほとんどの生徒がはっきりと覚えているという。中には家を失った子や親族を亡くした子もいる。

 

私も震災の一年後にボランティアで入った時の様子は今もよく覚えている。

 

ガラスだらけの畑を復旧する作業だったり,津波の被害にあった家の泥のかき出し作業なんかをやったわけだが,何よりよく覚えているのは,被災した方の家に招かれてご飯をいただいたことである。

 

「ボランティアに来てくれてありがとう」

 

そう言って被災者の方が我々ボランティアをもてなしてくれたのだ。

 

その時間は楽しかったが,帰り道にとても複雑な気持ちになったのを覚えている。

 

「なぜボランティアをしにきた我々がもてなされているのか…?」

 

「素直に受けてしまって本当に良かったのか?」

 

そんな思いがずっと頭の中にあった。

 

そしてこの時期は必ずそんな自分自身の身の振り方を考えさせられるのである。

 

今日は14時46分に職員室では職員で黙祷を捧げた。

 

職員の中にも親族を亡くした方々がいる。黙祷をしている間にもすすり泣きが聞こえて来たのだった。

 

そんな環境にいるので,私は毎年この日にこう思うのである。

 

「自分はここにいていいのか?」

 

と。

 

私なりにこれまで一生懸命やってきたつもりだが,それでも毎年そう思う。

 

今日の読売新聞にはこう書いてあった。

 

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「希望に向かって進むことは,故人を思いながら葛藤や迷いを抱えて歩く日々に違いない」

 

被災された方々は大きすぎる葛藤や迷いを抱えて日々を生きているのだなぁと再確認する。

 

そして,そんな人たちの少しでも力になりたいし,そういうことがやりたくて私はここにいるのだと思う。

 

自分にとってこの日はそんな風に自分が恥ずかしい生き方をしていないかをもう一度振り返り,襟を正す日でもある。

 

東日本大震災,豪雨,コロナウィルスと自然の前に人は時にとても無力だなと思う。しかし,そのたびにそれを乗り越える強さが人にはある。

 

故人達の人生の分も,精一杯生きていきたいものである。