小人数学級よりも、担任二人制を教育界は進めた方がいいのでは無いだろうか。
— 大仏先生@ほぼ毎日ブログを書く教師。 (@sunostrism) 2019年10月22日
担任が2人いれば、子どもと担任の相性が悪くても逃げ道があるし、
指導の行き過ぎにも歯止めが効くかもしれない。
お互いに見られてることで授業力の向上も考えられるし、
何より教員が休みを取りやすい。
最近こうつぶやいたのだが、これ如何だろうか。ちょっとこれについて今回は詳しく述べていきたい。
このように書いたのもまず一番には生徒の教師の相性があわない現実があるからである。
指導力があったり生徒と教員の相性が良い場合は良いのだが,そうでない場合はなかなかに大変だ。
外部のスタッフが入って仲介してもなかなか生徒と担任の関係性というのは改善しないのである。
(私も何度か他のクラスの授業において担任の先生へのクレームを宥めたことがある)
これが最短で一年も続くと思うと、生徒にとっても先生にとっても本当に地獄である。
そこで最近は「変動担任制」を取り入れている学校が出てきているわけである。
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この本の麹町中学校が有名だが,この取り組みは現在長野県にも広がっており、少しずつ担任を固定せずに流動的にする学校が見られる。
流動的にしていわゆる「担任の当たり外れ」をなくす狙いである。
(ちなみに保護者によっては担任発表された直後に電話口で「今年はハズレ」とか言っていたりするのでこちらも本当にハラハラする)
しかし、私が思うにこの変動担任制はデメリットとして
「結局だれが責任を負うのか」
という点や、
「いざという時に誰に相談して良いかわかりにくい」
「どこまでがどの先生の仕事なのか」
という点もあるように思うのである。
つまり
曖昧であるがゆえに、かえって仕事が増えてしまわないだろうか。
それに継続的に子ども達を見ることで分かることもあるはずである。変動性ではその辺が分断されてしまって引き継ぎの心配もある。
そこで担任二人制である。
これなら生徒は話しやすいどちらかに相談すれば良いし、どこまでがどちらの仕事なのかは2人で相談すれば良い。相談は必要だがあくまで最小の2人という人数の話し合いで決定できる。
初任者がいる場合は指導力のある先生とペアで組めば一年間で相当な学級運営のノウハウを学ぶことが出来るだろう。初任のそういった経験を積む余裕が現場にないのである。
(ちなみに私もいきなり担任だった。本当に良い先輩に恵まれて一から教えて貰えたのだが,それがなかったらもう潰れていたかもしれない)
だからこれは子どもにとってというだけでなく,教員の育成システムにもなるはずである。
体罰やコンプライアンスに関わる問題についてももう一人の目があれば歯止めが効いてくるはずだ。
もう一人いてくれれば年休も取りやすいので,お互いに融通しあって休むことも出来る。働き方改革も進むことだろう。
一応フェアにデメリットを書いておくのだが,これ2人の担任の関係性が最悪だったらもう目も当てられないという可能性はある。
ようは東須磨の加害者側と被害者側がペアで担任だったら生徒達はとんでもないものを毎日見せられることになるわけだが,まぁそれはかなりレアなケースだろう。
ということで私としては担任2人制はかなりいいんじゃないかと考えているわけである。
しかし、現実はどうだろうか。
いかんせんそんなに人(教師)がいないよね
というのが今の教育界の実情である。
少子化で子どもが減るのが確実なので,もう採用数はこのままいったらむしろ減らされる一方かもしれない。
教育は投資である。未来を担う子ども達にはもっと投資すべきだと思うのだが,この国はなかなかそういう考えになってくれないようである。
ちなみに
OECD各国のGDPに対する学校教育費の比率において日本は先進国最低クラス
である。
本当にこのままでいいのだろうか。
日本の経済成長が頭打ちなのは教育に予算をかけてこなかった代償ではないのだろうか。
一刻も早い国の方針の転換を望んでいる。
(あれ?なんか最初のテーマと違う気もするけどまぁ許してください笑)