教職者K

教育について考えるブログ。

金麦の夜。

さて、私は今帰りの新幹線の中でこの文を書いている。

 

伯母の葬儀で泊まりがけで埼玉まで行ってきたのだ。

 

1週間前に突然の連絡が入り、伯母が風呂場で倒れてそのまま急逝。64歳の若さだった。

 

今の日本の女性の平均寿命が88歳であることを考えると、本当に悔やまれる死である。

 

お盆にはみんなで実家に集まってバーベキューをしたばかりである。全く予期していなかったことだけに親族も心の準備ができておらず,なんだかみんなそわそわしてこの日を迎えたのだった。

 

ちなみに93になる祖父は今回の通夜と告別式を欠席。

 

本人はその理由を「腰が痛い」と言っていたようが、娘の葬式に出るのが辛かったのではないかと私は推測している。

 

93にして娘に先に旅立たれてしまったという事実。その寂しさや悲しみは計り知れないものがある。

 

 

私は自分の娘の葬式に立ち会うことになるとしたら、多分直視できないだろう。

 

 

伯母の遺影には、私の結婚式に来てくれた時の写真が使われていた。

 

結婚式が始まるまでの時間を祖父と談笑しながら過ごす伯母の写真。

 

その写真を見ながらこれまでの人生のいろんな場面で支えてもらってきたことを思い出し,涙が出てきた。生まれてから32年間ずっとお世話になってきた人である。

 

納棺の儀から参加し,これまでの感謝を込めて冷たくなってしまった体を拭き,祈りを捧げて骨を拾ってきた。

 

棺に入れられた伯母を見ていると,

 

「起きて半畳寝て一畳」

 

と言うが,最終的に人に必要な面積とはもっとずっと小さいのだなと思った。骨壷に入るとなおさらに。

 

最終的に向かう死という圧倒的なものを前にして生きている間にどれだけ後悔ない毎日を過ごせているのかを考えさせられ,背筋が伸びる思いだった。

 

「30代は生死に触れ合うことが多い年代」

 

というのを何かの本で読んだことあるのだが,本当にその通りである。

 

自分も30になって子どもが生まれたが,その代わり少しずつお世話になってきた人たちが旅立っていく。

 

 

そしてこれから先もそういうことが続いていくのだろう。両親にも年に数回会えるかどうかなのだが,確実に老いは忍び寄ってきていることを感じている。

 

 

とまぁ、このように色々なことを考えさせられた今回の件だったわけなのだが,これをきっかけにして本当に久しぶりに親戚が集まることが出来た。

 

 

 

夜は弟と二人で伯母が好きでよく飲んでいた「金麦」を飲みながら,これからの実家について滅多に出来ない話をした。

 

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家族と話すなんていう当たり前のことが大人になるにつれて少しずつ当たり前ではなくなっていく。

 

でも伯母がそんなみんなを繋げてくれたのだなぁと思う。最後まで感謝である。

 

伯母には自分の子どもだけでなく、生まれたばかりの孫、さらには我々のこれからを天国から見守ってくれることを願っている。

 

これまで本当にありがとう。