教職者K

教育について考えるブログ。

【お勧め】教育関係お勧めの本。ー学校を作り直す ー 苫野一徳

担任やっているといろいろと迷うことがあるんですよ。

 

というのも担任によって色々なスタンスがあるんですね。

 

ちなみに私はどういうタイプかというと,

 

ゆるゆる

 

な方なわけでして。

 

子ども達が提出物出さなくてもきついこと言いませんし,

 

授業に集中してなくてもそれはこっちの授業構成が悪いと思うので対して怒ったりもしないわけです。

 

経験を重ねるほどに「厳しい言葉がけっていらないな」と思うようになってきているので,どんどんゆるくなって来ているように思います。

 

 

 

ただね。

 

私はそれでいいと思ってるんですけど,なんだか周りはそれを許してくれないんですよ。

 

(特に年上の同僚女性陣)

 

「もっと厳しく言ってください」

 

「そこはしっかり言って聞かせないとだめでしょう」

 

「泣かせるくらいやらなきゃ」

 

なんて言われるわけです。

 

そしてそのたびに私は違和感なんですよね。

 

泣くことが本当に反省なんでしょうか?きつく言えば子ども達は反省するんでしょうか。

 

泣いたら反省してるんだったら女優さんとかめっちゃ反省してるじゃないですか。人って砂埃の多い日に反省しますか?そんなものをいちいち反省の指標にするんじゃないよって私は肚の中で思っているわけですよ。

 

他にも疑問は色々とあって。

 

最近小学校でよく見かけるのが,

 

「〇〇スタンダード」

 

ってやつなんですね。

 

発言の際の手順とか発表の仕方が全部決まっているわけです。

 

・意見はパー,付け足しはチョキ,同じ意見はグーで手をあげる。

 

・「〇〇さんの意見を聞いて私はこう思いました。理由は…」みたいな発表の型がある。

 

・筆箱 、鉛筆 ,ノート は全て学校から指定したものを使わなければならない。筆箱は落としても音がうるさくならないようにプラスチック製のもの。

 

みたいなやつですね。

 

これ研究授業でみるとすごくビシッとして見えるというか…すごく鍛えられた軍隊みたいに見えるんですよ。見栄えがいいんです。

 

 

あとユニバーサルデザインの教室ね。

 

こんなやつです。

 

http://syou.oita-ed.jp/oono/kiyokawa/guide/guide1.html

 

最近の学校事情を知らない人も多いでしょうから説明するんですけど,最近は前に掲示物貼らないところが多いんです。

 

前の棚にはカーテンをかけて中のものを見えなくするみたいな教室掲示が多いんですよ。

 

 

これは発達障害の子とかは前に学習と関係ないものがあると授業に集中できないっていう配慮から流行ってるものなんですね。

 

 

そしてこの〇〇スタンダードにもユニバーサルデザインの教室にもなんとなく私は違和感を感じていたわけです。

 

まず〇〇スタンダードの方なんですが,私が中学生を相手しているのもあるんですが,あまり自然な姿ではないと思ってるんですね。というか私だったら恥ずかしい。これをやりたくないから手を挙げたくないですね。筆箱だって好きなもの使った方がテンション上がりますし。

 

あと,ユニバーサルデザインの教室にしても,前に貼れない分,係とか連絡事項とかが横の壁面にびっしり貼られることになるわけです。

 

以前も書いたように私はもう4人組の授業を基本として進めていますから,


みんなが黒板を向いてるわけでもないんですね。

 

最初から壁の方みる子もいるわけで。そこには掲示物がいっぱいあるわけです。だから,

 

これ意味ある?

 

って思うんですよ。

 

でも「前に貼る掲示物やめて」「ユニバーサルデザインの教室づくりを進めて」って上からは言われたりするんですよ。

 

んであまりにもそういう風に周りから,

 

「もっときっちりやれ」

「きつく言うとこは言わないと」

「みんなと歩調合わせろ」

 

みたいなこと言われるから,ちょっともう嫌になってたというか。自分のスタンスってダメなのかな?ってちょっと自信無くしてたところありましてね。

 

 

そんな時に読んだのがこちらの本だったんです。

 

「学校」をつくり直す (河出新書)

「学校」をつくり直す (河出新書)

 

 

最近読んだんですけど,本当におススメです。例えばこんな一文がありました。

 

「協同的な学び」は極めて重要なものですが,ここにはある落とし穴があるのです。

 それ、「協同的な学び」のやり方を、先生がいちいち細かく指定するという問題です。

 

(中略)

定型の文章で発言する姿を,私はとても不自然なものだと感じます。

 

そうやって〇〇スタンダードの不自然さをこの苫野先生も指摘してらっしゃてたんですね。

 

さらにユニバーサルデザインの教室についても 「掲示物を息抜きにしながらなんとか頑張れる子もいる」みたいに書いていて,あぁ確かにそうかもなって。

 

一番心に響いたのはこの文章です。

 

45年間教育の現場にいた私からは,最近の学校はとても頑丈な「スーツケース」のように見えます。

長い棒のように尖った子は,端っこをポキンと折らないと入られない。

まんまるボールのような子だと蓋が閉まらないからダメ。

そんな子達はスーツケースに入れて運べません。ところが「風呂敷」だったらどうでしょう。大風呂敷を広げておけば,棒の端っこが出ていてもみんなでなんとか担げます。ボールもなんとか包めます。包み方はアバウトで,マニュアルがあるわけでもありません。

 

 

なんでしょう。すごくこの本の端々に私は救われたような気がしました。

 

「君の今のスタンスってけして悪くないよ」って言われているような気がして。

 

学校の先生ってほんとスーツケースに押し込むのが好きですから,私みたいにそこからはみ出したがる人間も押し込みたくなるみたいなんですよね。

 

でもそのことが結果的に今の学校の息苦しさに繋がってるんじゃないかなって私は思ったんですよ。

 

 

そして同時に考えたのがスーツケースと風呂敷の違いです。

 

それはきっと硬さの違いなんですよね。

 

柔軟に時代と子ども達に合わせて自分を変えられるかどうか。

 

頼りなさそうに見えてちゃんとポイントを抑えて子ども達に支援できているか。

 

自分は風呂敷のような先生でありたいな

 

と,この本を読んで改めて思わされました。

 

そういう意味でもこちらの本おススメです。

 

夏休みの読書に是非どうぞ。

 

追伸

さて夏休み突入です。たくさん本を読む夏休みにしたいと思います。今日も読んでくださりありがとうございました!