教職者K

教育について考えるブログ。

私たちは何を残すか。

もうそろそろ私34になるんですね。

 

そう考えたらもう恐ろしい訳ですよ。

 

いつの間にかアラサーだなと思ってたら、もう来年になったら35なわけで。四捨五入したら40ってとこまで来てる訳ですね。

 

40ってあなた。

 

そら歳もとるし、髪も抜けますわ。悲しいほど順調におじさんへの道をひた走ってるわけですね。

 

なんかそうなってくるともう明らかに人生のステージが変わって来ていて,これまでと同じように考えちゃだめだなと思うわけです。

 

後藤新平という人はこんな名言を残しているんですね。

 

「財を残すは下。事業を残すは中。人を残すは上なり」

 

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これを例えば自分がずっとやってきているバレーボールっていう競技に当てはめると,

 

「勝利(財)を残すは下。チーム(事業)を残すは中。人を残すは上なり」

 

っていうことが出来ると思うんです。

 

そしてこれまでの自分の指導が,「勝利」止まりだったんじゃないかとすごく反省しているんですね。

 

私はバレーボール経験者ですし,これまでずっと自分なりにどうしたら勝てるのかを考えてきましたから,それなりに私がチームをもつと勝率が上がります。

 

でも,私が居なくなったあとにチームが続いているかというとそうでもないよなと思うんです。

 

もっというなら,私の指導を受けて指導者側に回った生徒は今のところまだいないんですね。私は人を残せたのだろうかと。

 

つまり,勝つことにばかり特化していた自分の指導というのは後藤新平的に言えば「下」ではないかと思ったのです。

 

まぁまだ私の教え子達はほとんどが成人していないので,これから指導者側に回る子も出てくるかもしれないですけど,もしかしたら教えている私の姿がもっと楽しそうで,希望がもてるものだったら「私も教えてみたい!」と思う子がもっといたのかも知れないなと思うわけです。

 

これを同じように教室にも当てはめたときに「学力」にばかり焦点を当てて,それをあげていくというのは実は「下」なのではないかと思うのです。

 

子ども達が自立して誰がもっても安心して見られるクラスになって「中」。

 

その中から「私も教員になってみたい!」っていう子が生まれてくるようになって,教員を育てられるようになって「上」なのかもしれないと思うわけです。

 

私自身は素晴らしい指導者に恵まれて教員を目指しましたし,ここまで鍛えられてきましたから,やっぱり自分自身もそういう域を目指さなければならないなと最近強く思います。

 

そしてそういう意味でこの仕事は「人を残す」ことが出来るとても可能性がある仕事だと思うわけで。

 

来年はこれまで以上に自分が楽しんで教育活動に当たれたらいいなと思います。

 

(まぁもっというともう少し財も残せるといいんですけどね…笑)

 

本日も読んでいただき,ありがとうございました!