教職者K

教育について考えるブログ。

教習所に思うこと。

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前の記事にも書いたが、私と車の相性ははっきり言ってあまり良くない。

 

せっかちであるがゆえに運転する時間ももったいないと思っている。早く自動運転の時代が来て欲しい。

 

うちの父親は車が好きな人で、

 

「昔からアイディアが生まれるのは、馬上枕上厠上つってだな。馬に乗ってる時、寝てる時、トイレにいる時、って言われてんだよ。

 

今は馬には乗らないから、車の運転してる時が馬上とも言えるかな」

 

なんてよく言う。

 

なるほど、人の脳はリラックスしている時に何かを思いつきやすいという特性があるから、これは一理あると思う。

 

でもこれを間に受けたらいけない。

 

それを突き詰めたら、居眠り運転しながら漏らす奴が最高にイノベーティブということになってしまう。そうなったらもう日本は終わりだろう。

 

私がこのように車があまり好きになれないのは教習所の経験に由来している気がする。

 

大学時代に教習所に通ったが、はっきり言っていい思い出がない。

 

特に私は横橋(仮名)とかいう教官の男が嫌だった。とにかく嫌味なのである。

 

茶髪の横橋を隣に乗せて、敷地内を走る日があった。まずその微妙な茶髪が腹立たしい。

 

一時停止ですーっと減速し、左右を確認して私が直進しようとすると、

 

「バン!!」

 

っと横橋は助手席側のブレーキを思い切り踏んで車を完全に止めてきたのだ。

 

どうやら完全に動きが止まらないとダメらしい。それはいい。それは別にいいのである。

 

ただ別に、そんなあからさまなブレーキを踏まなくてもいいじゃないか。さらにその後の一言が腹立たしいのである。

 

「はい、救急車〜」

 

いや、確かに悪いのは私である。完全に止めなかった私が悪いのは認める。ただし、なんなんだその言い方は。お前を病院送りにしてやろうかと思った。

 

さらにこのあとも横橋は、

 

「はいはい、せっかちさん」

 

「おーい、生きたまま俺を帰してくれよ〜」

 

などの発言を連発。いちいち癪に触る。私はこれまでの人生の中でこの男とのドライブが人生で一番嫌だった。

 

無性に腹がたったので、受講後のアンケートにはこう書いた。

 

「合わないと思った教官はいますか? 」

「 横橋」

「指導を改善すべきだと思う教官は いましたか?」

「横橋」

「今後はどんな教官から受講したいと思いますか」

「横橋以外」

 

ありったけの嫌味を書いて私は無事に免許を取得した。因果応報である、わかったか横橋よ。

 

さて、もはや免許をとって10年以上経つがやはり教習所でやっていることがそのまま現実社会で使えるのかといったら私はやはり疑問だ。

 

「下に猫が入り込んでいるかもしれないから、乗る前には車の下を覗き込んで確認を」

 

教習所ではそう教わった。

 

大切かもしれない。大切かもしれないが、現実にそれを毎日やっている人がいたら、それ以外のところを心配されてしまうだろう。

 

「線路の前では窓を開けて確認を」

 

たしかに大切だろう。でも素早く通り抜けることの方が重要ではないか。

 

現実には車庫入れのポールもないし、「あの三本目のポールが見えたら切り始めて」なんてのも全く現実的じゃない。

 

もっと、

 

オイル交換の大切さとか、

 

バッテリーの交換目安、

 

どれくらい維持費がかかるとか、

 

車検がいかに大切かとか、

 

車検証の保管の仕方とか…

 

そういうことの方が教えてもらいたかったなぁと心から思う。

 

そんなことを考えていたら今週はタイヤを交換してしまったというのに、雪が降った。

 

タイヤ交換の時期もちゃんと教えておいてほしいものだなぁと思う。

 

いや、もしかしたらこれもまた横橋から私への因果応報なのかもしれない。