教職者K

教育について考えるブログ。

職場の飲み会には参加すべきか否かの判断基準について。

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みなさん職場の飲み会についていかがお考えだろうか。

 

職場の飲み会といえば少し義務的なところがあり、あまり楽しめない人も多いだろう。

 

教員も飲み会が結構ある。

 

3月や4月は送別会や歓迎会、PTAとの歓送迎会などたくさん。さらには学校全体の歓迎会、学年の歓迎会と場合によっては細分化されているので、かなりの数になってくる。

 

最近では働き方改革の流れもあって、

 

「強制じゃないんだし、職場の飲み会は一切行かない」

 

「一年間学校の飲み会は全て断りました!!」

 

というツワモノもツイッターで見かける。仕事の延長とみるとどうしても断りたいのが飲み会というものかもしれない。

 

気持ちはわかる。ただ、私はそれはちょっと頑ななんじゃないかと思うので、私見を書くことにする。

 

まず必要なのはコストを考えることだと思う。

 

「五千円の飲み会」

 

とはいうものの、実際には、

 

「5000円➕2時間」

 

とも言い換えることができ、2時間自由に使えてさらに5000円使えるとなるとこれは実にいろんなことが出来る。

 

さらに、総額で考えると、時給換算が1500円くらいの仕事をしている人だったら、

 

「5000円➕2時間(3000円)➕代行代(3000円と仮定)」

 

とすると、だいたい飲み会に行くことは、

 

「11000円」

 

かかっているのである。11000円あったら、ちょっとした欲しいものが買えてしまう。

 

つまり、飲み会に参加する時というのは、

 

「5000円➕2時間」

 

もしくは

 

「11000円」

 

以上の価値が飲み会になければならないのである。

 

「いや、職場の飲み会にそんな価値ないでしょ」

 

という人も多いだろう。しかし、本当にそうだろうか。

 

いざという時に助けてくれるのは、そう言った場で仕事を離れた会話ができる人なのではないだろうか。

 

もし精神的に病みそうな時に、そういうフランクな会話に乗ってくれる人がいて、病院に定期的にお世話にならずに済んだのなら、それは11000円以上の価値があるといえるだろう。

 

そこの会話の中から新しいアイディアが生まれたり、交友関係が広まることだってあるのである。

 

ちなみに私は部活動の保護者との飲み会には出来るだけ顔を出すようにしている。

 

もちろん、時間もお金もかかるが、そこで子どもの姿を褒めたり、こんな意図をもっているということを酒を飲みながら話す。

 

これが巡り巡って効果を発揮しているように思うのだ。

 

私のキツイ練習に子ども達が悩んだ時も、事前にフランクに親とコミュニケーションをとっていれば、親がこちらの味方になってくれたりするようになる。

 

もし何もしていなければ、それ以上の時間をクレーム対応に割くことになるだろう。それこそ時間は2時間を軽く超えてしまう。

 

だから、一概に職場の飲み会は悪ととらえるのではなく、それ以上の価値を生み出す努力をするか、

 

価値が見出せない時は遠慮なく断ればいいと思う。全部参加するか、しないか、という二択はあまりに極端である。

 

しかし、そうはいうものの私自身娘が生まれてからというもの、なかなか参加が難しくなってきた。

 

私の場合、今飲み会に参加することによって失うのは、

 

「5000円➕2時間➕子どもとの時間➕奥さんの機嫌」

 

であり、これを上回る価値を生み出す飲み会というのは非常に難易度が高い。

 

「生後1年以内の子どもがいる父親を安易に飲み会に誘ってはならない」

 

という法律ができたらなぁと思う最近である。

 

ま、何事もバランスですよね。

 

今年は歓迎会は顔出しますが、歓送迎会は欠席の予定です。あしからず。