クリスマスが休日と重なる時には妻の実家で過ごすことが多くなっている。
義父母に孫を会わせながら、笑顔に包まれてみんなで食卓を囲む時間は悪くない。
そしてこの時期に妻の実家に行くと毎回聞かされるエピソードがある。
それが、クリスマスケーキ台無し事件である。
妻が小さい頃、ケーキを出して義父がシャンメリーのコルクを開けようとした瞬間に、コルクが弾け飛んで蛍光灯にあたり、ケーキに落下。
食べたら即死するようなガラスまみれのクリスマスケーキが完成したらしい。
楽しみにしていたケーキが一口も食べられないまま廃棄になり、さらに電気もつかなくなるという、災害時のような状況に当然幼い姉妹は大号泣し、楽しいはずのクリスマスパーティーは最悪の雰囲気に。
用意した義父も泣きたかったという話である。
この話をすでに結婚してから何回かKも聞かされており、このエピソードは約30年にわたって妻の実家のクリスマスのエピソードとして語り継がれてきた訳である。
確かに食べられなかったケーキは勿体無い。
しかしながら、ケーキを食べられたとして、30年前のケーキの味を人は覚えているものだろうか。
一方でこの食べられなかったケーキは30年以上に渡って共通の話題となってこの家族のクリスマスのトークを盛り上げてきた訳である。
だから実はこの体験というのはケーキを食べる以上に価値のあることだったのではないかと思うのである。
クリスマスの度にみんなでその時のことを思い出して笑う。金銭に換算できるものでは無いのかもしれないが、例えばその一回の家族全員の笑いに500円の価値があるとしよう。
それが30年間だから、500円✖️30年🟰15000円くらいの価値が実はあるのかもしれなくて、そのことはケーキの価値を超えるものがあるのである。
だからこのエピソードを聞く度にそんな、失敗というのは長い目で見れば実は存在しないのでは無いかと思うのである。
とは言いつつも、できれば失敗したく無いというのが人間の心理な訳で。
照明の位置を確認しつつ、慎重にシャンメリーのコルクを開けようとするクリスマスなのである。