来年の健康診断においてオールA獲得を目標とする私の食事は,言うまでもないが自炊である。
最近では妻が里帰りでいない上に,勤務先は給食が無いので弁当も自分で作っている。
そんな私だが,最近自らに課している修行がある。
それが,
値段が下がった野菜コーナーに置いてある,買ったことが無い野菜をとりあえず買ってみる
という取り組みである。
人々に見放され,腐りかけた野菜たちを救う。
そんな野菜界の足長おじさん的な存在になろうとしているわけである。
これがまぁ財布に優しいし,体にもいい(はず)。
食べなれない野菜には何かしら自分にとって不足している栄養素が含まれている可能性が高い。よってとてつもなく健康的な取り組みだと思っている。(ちなみに科学的な根拠はない)
何よりこの取り組みは頭を使うのがいい。
人間とはついつい同じルーティンを繰り返しがちな生き物である。料理にしても同じものを繰り返してしまいがちだ。
しかしどうか。食べたことがない野菜を一つ買うだけで,それをどう食べたらいいのか考えを巡らせる必要があるのである。
どう切るかを考えるところから始まり,他の食材は何が合うのかを,あれこれ考えることで新鮮な体験となり,ひいては料理のレパートリーが広がることにもなる。
これはそんな退屈な毎日に刺激を与える修行であり,自らのコンフォートゾーンから抜け出し,新しい自分に出会う格好のエクササイズになっているのである。
そんな私は最近,安くなった野菜コーナーで
しょうが
に遭遇した。
多分私は自分の人生で生姜を買ったことない。(というか,これまでの人生では使ったとしてもチューブの生姜ばかりだったと思う。)
そんな私だが,この日は生姜の使い方も分からないまま,ルールに従ってとりあえず生の生姜を購入。
なんとなく肉との相性が良さそうだと思ったので,生姜を適当にざくざくと刻んで,鶏肉と塩コショウで炒めてみたわけである。
これがまぁ
イマイチ
なのである。
どんな味かと言われれば鶏肉を食べてから生姜を齧ったような味だった。
味のマリアージュ(結婚)どころか、離婚。むしろ両者が出会ってすらくれない。すれ違い続ける皿上のアンジャッシュ状態。
しかも一度作った場合、消費しきれない場合は昼飯でも弁当として食べ続けなければならないことになるから,なかなか大変なのである。
生姜の扱いに困った私は,次なる作戦として,とりあえず摺り下ろしてみることを思いつき,摺り下ろした生姜を今度は野菜炒めにドーン。
これがいけたのである。
平凡な野菜炒めが一気に大人の味になる。野菜の甘みの後にピリッとした生姜の辛味がアクセントなってやってくる。肉とも相性がよく,米がススムではないか。
生姜とは,焼く場合において,すりおろしてこそ真価を発揮するのだということに36年目にして気づいたわけである。
更には高リコピントマトなるトマトに出会ったこともあった。
せっかくの高リコピントマトなのだから,ちょっとこじゃれたものを作ってみようかと思った私はマリネを作ることを決意。(ちなみにどれくらい高リコピンなのかは不明だし、リコピンてそもそも体にとってどうなのかも不明である)
鮭を焼いて,玉ねぎを水にさらす。玉ねぎをオリーブオイルと酢で和え,バジルで味を調えたところに鮭と刻んだ高リコピントマトを投入。
さっくりとあえていく。
この時の自分はもう
マリネを作っている自分に酔っている
状態。マリネはそう錯覚させるくらい,彩りと見た目がいいのである。
「世の中ってマリネ作った事ある男と作った事ない男に分かれるんだわ」
「俺? もちろん、作った事あるよ」
しょうもないそんな会話が私の脳内を駆け巡っていく。
今の私の職場は富裕層の子が多く,
「海外旅行に行ったことがある人?」
という質問でクラスの半分ほどの手が上がるのである。
しかしながら,
「マリネ作ったことある人?」
だったら,どうだろうか。
きっと手はほとんど挙がらないはずだ。(そう信じたい)
私はそんなマリネを作っている自分に対して誇らしい気持ちになった。
新鮮な体験とは何も遠くの異国の地にばかりあるのではないのである。近くにある腐りかけの野菜にも新しい体験は眠っているのだよ君達……。そうクラスの子達に伝えたいくらいの気持ちであった。
ノって来た私の気分はもはや教育界の栗原はるみ。完成したマリネの横にバケットまで用意。
完成したマリネをバケットに載せて一口食べてみる。
これがまぁ、
イマイチ
なのである。いや,正確に言うとまずい。
玉ねぎが辛すぎるのである。水で晒した時間が短かすぎたか。
一口ごとに胃が焼けるような思いであり,その辛さがトマトの酸味と鮭の旨みを全て吹き飛ばしていく。繊細な水彩画の上を黒いペンキで塗り潰したような味がした。
強烈。あまりに強烈。生の玉ねぎ恐るべし。玉ねぎで犬が死ぬ理由が身をもって分かった気がした。
これ以上食べたら明日の仕事に影響が出ると感じたため一口で終了である。
(後日スタッフが美味しくいただきました)
私の作るものの味はいまいちだが,こうやってちゃんと料理するのは案外に楽しいことかもしれないと思い始めているのである。
家に帰って来て,ちゃんと料理して,風呂に入ればそれだけで時間が終わる。
家電やスーパーのお惣菜,冷凍食品など時短技術が進めば進むほどかえって「もっと何かできるのではないか」「この時間がもったいないのではないか」と気持ちばかりが焦ってしまう。
目の前にあることに丁寧に取り組むことがいかに贅沢で有意義なことか。
そんな非常に重要なことを発見した気になった。
しかしながら、すぐに、
あっこれ最近読んだ本に書いてたことそのまま言ってるだけだわ
ということに気づいたのだった。
(いい本でした!おすすめです)
そして最近この野菜購入ルールに従って購入し、最も私を困らせたのが
食用菊
である。
仕事が遅くなり,安い野菜コーナーに唯一残っていたのがこの食用菊だったのだが,残る理由が分かる。いくら見つめても調理法がまったく思いつかない。
値下げコーナーの端っこで真っ黄色のままその存在を主張する食用菊。
食べ方があまりにも分からないながらも,私はルールだからという一点のみで食用菊を購入してきた訳である。
とりあえず困ってネットで検索してみたのだが,どうやら刺身につけて食べるのがもっともポピュラーであるらしい。
そこで,今回はサーモンをめんつゆにつけ,そこにごま油が無かったので代わりにラー油をチョロリ。
その漬け込んだサーモンをご飯の上にどん。
最後に食用菊をちぎってパラパラ…
『ピリ辛めんつゆサーモン丼~食用菊を添えて~』
の完成である。
これがまぁ、
うんまい
のだ。
ご飯がいくらでも食べられる味。
サーモンがめんつゆにつけられてその触感を変える。サーモンのうま味とめんつゆの甘みの波状攻撃。そしてその後にくるラー油の辛味もまたいとおかし……。
これ超うまい!
しかしながら同時にこうも思った。
食用菊が味にほぼ無関係
(確かに香りは良かった!)
ダメだ…。
私はまだまだ食用菊のポテンシャルを引き出せていない、と敗北した気になったのもまた事実である。
次は食用菊のあんかけか,おひたしにでも挑戦してみたいものである。
本日も読んでいただき、ありがとうございました!