教職者K

教育について考えるブログ。

おじさんと言葉の話。

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ファッションと言葉は似ている気がする。

 

どちらも流行り廃りが存在しているところである。

 

そして、「年相応のものを選ぶべきである」という不文律が存在しているようにも思うのである。

 

つまり、「おじさんはおじさんらしい格好をすべきで、若い人の格好をするのは恥ずかしい」という考え方である。

 

同じように言葉にも「その言葉をおじさんが使うのは恥ずかしい」というラインが確実に存在している。

 

先日私はその辺について議論が起こったので書いておきたいーーーー。

 

先日車に乗った際に、私は後部座席に乗った妻に携帯電話を持ったか確認したのである。

 

というのもこの日は妻が買い物中に私が娘を公園で遊ばせておくという算段であり、妻に車で迎えに来てもらうためにも携帯が必須だったのだ。

 

「うん、持ってきてるよ」

 

その妻の返事を聞いて私はこう返した。

 

「良かった。それ無かったら詰むからね」

 

私は何気なく「詰む」という言葉を使ったのだが、これが妻の琴線に触れてしまったのである。

 

「…え?何、詰むって」

 

「やめて欲しい。すごく恥ずかしい」

 

「しょうもない若者みたいなこと言わないで」

 

というのである。

 

あまりにも言われるので私も反論した。

 

「詰むはそもそも将棋用語であり、けして若者だけの言葉ではない」

 

「むしろ将棋から来ているあたり、若者というよりもおじさんこそが使うに相応しい」

 

「この歳のおじさんが『ぴえん』とか『ワンチャン』とか、『とりま』とか言って恥ずかしいと言われるなら分かる。しかし、詰むはその対象にはならない」

 

「詰むはあくまで将棋用語であり、私はそれを使っただけで別に若者ぶりたい訳ではない」

 

そう理路整然と説明したのである。しかし、妻は納得しない。

 

「じゃあなんで日常会話でいきなり将棋用語を使ってくるわけ?要らなくない?」

 

そう言って来たのでまたしても私は反論する。

 

私「それは君が将棋をしたことが無いだけだ」

 

私「『王手』とか、「成金」とか、日常で使われる将棋用語は確実に存在している」

 

そう言ったのだが、やはり妻は納得してくれない。

 

妻「王手なんて日常会話で絶対使わない。」

 

妻「あなたが私との会話の中で王手なんて言ったこと絶対ない」

 

そう言い張るのである。

 

困った私は「なんなん、その高飛車なものいいは」と将棋用語をさりげなく混ぜ込んで反論したのだが、気付いてもらえず。

 

結局そのまま妻は一歩も引かず、彼女は「詰むをおじさんが使うのおかしい説」を譲らなかった訳である。

 

その後、「とりま、昼飯でも食って帰ろうか」とか「ワンチャンあの店やってんじゃない?」とか若者ワードを放り込んでみながら会話していたのだが、面倒くさがられて全てスルーされた次第である。

 

これを読んだ皆様はどう思われるだろうか。

 

「詰む」は本当に34歳のおじさんが使ってはいけない言葉なのだろうか。

 

「それはお前がおかしい」

 

みんなからそう言われたら、私は「ぴえん」なのである。