最近新聞を読んでいて,これ大事だなと思った話について書いておきますね。
新聞によると一回目の東京オリンピックの頃の日本では,
『根性』の研究
なるものが本気でされていたようなんですね。
どうやら当時の日本は「厳しい練習をすると,それを乗り越えることでパフォーマンスの発揮に繋がる」ってことに気づいたみたいなんです。
そして日本全体が「根性」について研究し始めたというんですね。
それこそ当時の日本女子バレーなんかは大松監督の下で死ぬほど練習して結果を残しましたから,この東京オリンピックというのは日本全体に「根性」というものを遺産として残したといえるかも知れません。
これはある意味で間違ってないと私は思います。
厳しい練習をしないと結果に繋がらないのは事実ですから。
しかし,一方でこの「根性」こそが体罰や過剰な練習を生み出して来た原因でもあるわけですね。
そこでその新聞(どこの新聞かは忘れた)では
「押し付けられる根性」から「主体的な根性へ」
みたいなことが書かれていて,私はこれに大いに納得したわけです。
根性が必要なのは変わらないけれど,それが昔みたいに監督やコーチといった他人から押し付けられるものであってはいけないと。
主体的なもの,つまり選手の内側から湧き出てくるものじゃないといけないわけですね。
これは本当にその通りだと思ったので私は新聞の前で赤べこのようにうなづいてましたね。
言うなれば,
「この練習めっちゃきついけど,でも勝つためには必要だからやっとこうか」
「もう疲れた…でも勝ちたいからみんなで頑張ろう!」
と選手が選択出来るような練習をしなければならないわけです。
これは押し付ける指導よりも遥かに難しくて指導者側の技術が必要なわけですね。一方的に言っちゃった方が楽ですから。
特に私みたいに子どもを相手にしていると,言うことを聞かせるのは簡単ですから。だから未だにそういう指導をしてしまう指導者がいるのも事実なんですよね。
では
どうやったら主体的な根性を引き出せるのか
っていう話なんですけど。私が思うに大事なポイントは2つで,
①常に選手が目標をもっていること
②自己決定
なんじゃないかと思うのです。
①の「常に選手が目標をもっていること」というのは,やっぱり「あの先輩みたいになりたい」とか「あのチームに勝ちたい」っていう想いが選手を一番自発的に動かすと思うんですよ。
私が見ていて思うのは,部活の子ども達は部活に入ってすぐの時期が一番自発的に練習しているんじゃないかということ。公園で自分たちで集まってパスしたりしてます。
それは目の前に急に現れた先輩という存在が目標になって,「あぁなりたい!」「早く追い付きたい」っていう気持ちが一番強い時期だからだと思うんですね。
だからプレーにしても何にしても選手が常に目標をもてるように,指導者側が色んな仕掛けをしなければならないのだと思います。
そして②の「自己決定」なんですけど。
心理学の世界でも「自己決定する」ことがモチベーションに大きな影響を与えることが分かって来ています。
なので指導者側が押し付けるのではなく,いろんな場面で選手たちに自己決定させることが大事なのではないかと思うのです。
例えば集中を欠いた練習をしている時,「おい,ふざけんなちゃんとやれ!」と声を荒げるのは「押し付ける根性」です。
そういう時は「今どうしたらもっといい練習になるか話し合いなさい」と話し合わせてみる。
結論はどうでもいいですが,大概そうなると「もっと声出そう」「ちょっと移動が遅いからもっと早くしよ」なんていう言葉が出てきて,結果的にちょっと集中した練習になる。
だからそうやって話し合って自己決定することが「自発的な根性」につながるのではないかと思います。
ということで私はそんな感じで今の子達に教えていますし,そうやって教わった子達は未来でも人にそうやって教えるようになるんじゃないかと。
そして,最終的にそのことは理不尽な指導や体罰の根絶にも繋がっていくのではないかと思うのです。
とりあえず今の私が思っているのはそんなところです。
他にもこんなのもありますよってのがあれば皆様教えてください。
本日も読んでいただき,ありがとうございました!