ついに私が住んでいる隣の市町村でも新型コロナウィルスの感染者が出た。
その市町村ではすでに新学期のスタートを4月20日に決定し、約1ヶ月遅れで学校を再開させると発表したのだった。
これまでどこか他人事だった私だが,急に緊張感が増した感じである。
一方でこれまで「あと少しで学校が始まる」と準備していた我々教職員だが、隣の市町村がそのような決定をしたことで、「またすぐ変わるかもしれない」という雰囲気が漂い始めている。中止になる可能性が非常に高いためにモチベーションがなかなか上がってこないのだ。
隣の市町村はスタートを1ヶ月遅らせた分、夏休みに回収するしかないだろう。
しかし、今のままでは夏休みまでに終息が見られるのかも不明だと思う。
すでにインドネシアやフィリピンなど熱帯の高温多湿の国でも感染が広がっている。
夏場にもインフルエンザウィルスはいる。
しかし、インフルエンザにならないのは湿度が高いためにウィルスが飛び散らないのが要因の一つであるらしい。冬場は乾燥しているからウィルスがふわふわと空中を舞うのだ。
しかし、熱帯地域でも感染が広がっていることを見ると、今回の新型コロナウィルスはそういうものでもないらしく、かなりの長期戦を覚悟しなければならない状況だと思う。
そうなってくると子ども達の学習の機会が奪われるのが大きな問題のはずなのだが、案外そこは報道されず,
部活が出来ない
夢を奪われた球児達がかわいそう
という世論ばかりでびっくりしている。
みんな学校は託児所か部活をやる所みたいなものだと思っているようである。
それで大丈夫だろうか。
そもそも学校は学習をする場であり,子ども達に適切な教育が与えられないのが大きな問題のはずである。
子どもの時期の1ヶ月というのは大人の1ヶ月の数倍価値があると思っている。というのもまだ柔軟な彼らはどんどんとやればやるほど色んなものを吸収していけるからだ。
しかし,人生の大事なこの期間にほとんど何も得られるものがないというのは、未来の日本にとっても大きな損失だと思うのである。
経済ももちろんそうなのだが、私はそんな
「目に見えない損失」
がどんどん広まって行っているのではないかと感じている。
しかしながら,今の状態での集団での学習はかなりリスクが高いだろう。
今こそ家庭の教育が問われる時である。
こんな時こそ普段なかなか子どもの学習を見る機会のない親御さんは子ども達の勉強を見届けてあげて欲しいなと思っている。