先日Twitterにこう書きまして。
学校の教員には
— ゾウにまたがりバッタをとる。 (@sunostrism) 2020年2月29日
「子どもを統率して、ビシッとした集団を作ることに生きがいを感じてるタイプ」
と、
「子供の主体性にある程度任せて、伸び伸びやらせたいタイプ」
がいる。
振り返ってみると、今年の学年スタッフはみんな前者で、私は後者だったような気がするわ。
よくやったよ、私ったら。
これが結構反響あったので,このことについて今回は書いてみたいと思いますーーーーーーー。
書いた通りなんですが,学校には
「統率をすること,規律に子ども達を当てはめることを重視するタイプ」
と
「自由に子ども達の主体性に任せたいタイプ」
がいるわけです。
私はどちらかというと後者であり,前者は大人に対して従順であることを子ども達に求めるわけですから,
子ども達の本来の自律心を奪ってしまう
とすら思っています。基本的に反対ですね。
なのでこの一年は他の先生方の「きっちり出来るまで挨拶させる」とか「ワーク出すまで残して徹底してやらせる」とか「授業中の姿勢が悪いから何がなんでもちゃんとさせる」みたいな指導方針に私はなかなか馴染めなかったところがあるんですよ。
多分前者の先生達は,
過去にそういう教育を受けてきたことが自分にとってプラスに働いたという自負
があるのでしょう。
よく聞く「あの時厳しくされたから今の自分がある」みたいなのが背景としてあるんだと思うんですね。
ただ私は前々から言っていますが,そうやって
自分が嫌だと感じていること,納得していないことを押し付けられることが果たしてこれからの世の中でどれだけ有効なのだろうか,
と思うんです。
というのも
以前ほど我慢して努力していれば報われる時代ではなくなった
と思うんですね。
我慢して勉強して詰め込んで,良い大学に行って良い就職先について結婚して家建てて…
それってもう過去の幻想でしょう。
コロナウイルスが流行っている現状でも思いますが,今の現状で絶対安泰の企業なんてないでしょう。
そんな時に大事なのっていうのは
自分の頭で判断して動けること
でしかないですよね。
だから,とにかく自分の頭で判断する機会を奪ってしまう前者のような指導に私は反対なんですよ。
極端な話,
「こんなにビシッとした挨拶ってなんのために必要なの?これ軍隊じゃないよね?」
って疑問に思って従わない子の方が無批判に受け入れて大きな声で挨拶してる子より,自分の頭で考えてるだけいいと思うんですよ。
さらにTwitterにはこうも書きました。
「子ども達の自主性に任せる」という聞こえの良い言葉を盾にして、放任するのが三流の教師。
— ゾウにまたがりバッタをとる。 (@sunostrism) 2020年2月29日
ビシッとした指導で型にはめ続けることで一見規律のある集団を作るのが二流の教師。
伸び伸びとした指導なのに、子ども達が自律的に伸びる集団を作るのが一流の教師。
なのかもなと思いました。
色々リプもらう中で最終的にこんなことを思ったんですよね。
一応ここで言っておきたいのは,私が一流ということではありません。
私の考える生徒の主体性に任せる指導が理解されず,授業参観の後に保護者の方から激しく罵倒されたこともあります。
あと部活動でも主体性に任せた結果としてクレームが入ったこともあります。
なので,そういう時の私は間違いなく3流だったと思いますね。実際あんまりうまくやれてなかったと思います。
その点規律でビシビシやらせる指導というのは,「放任になってしまう」という失敗が少ないからやりやすいのかもしれません。
ただ,先にも書いたように教える側がこのような2流・3流のところに留まっていては,子ども達の未来や日本に未来はけして明るいものではないと思います。
一流になれるようにこれからの期間,そして来年度ももっと勉強して頑張らないといけないなと思っている今日この頃なのです。
皆様の参考になれば幸いです。
読んでくださりありがとうございました!