さて今年も高校野球が大きな話題になっているようである。
特に話題になっているのがこのニュース。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6331321
岩手県の高校野球の予選で,プロ注目の佐々木投手が監督判断により決勝戦で投げず,チームは敗退。
これについて賛否両論があるようである。
学校の方には,
「なぜ投げさせない?」
「どういうつもりだ!」
と抗議の電話が止まらないらしい。
私も同じ部活という立場で,監督をしている身なので,この件について今回は思うところを書いてみたいーーーーーーーーーーーーーーーーー。
まずツイッターを見ると,この監督の判断に対して多くの教員が,
「結果よりも選手のことを考えた名監督」
「選手の未来を考えた素晴らしい判断」
「のちのち道徳の教科書に載せるべき」
などの好意的な意見をあげていた。
私としても選手の将来を考えて目先の結果にとらわれず,選手の将来を考えた監督の采配には見習うべきところがあると思った。
しかし、もっというなら,
この決断を選手達自身ができたらもっと良かったのではないか
と私は思ったのである。
なんというか,正直私が同じチームメイトだったら,
「いや甲子園行きたいよ」
「そのために佐々木についてきたんだよ」
「俺たちの三年間終わっちゃうじゃん」
「監督どうして…」
と思ってしまうのではないだろうか。
というか部活動とは本来生徒達の自主的な活動のはずである。
だから監督からトップダウンで「決勝に佐々木は出さない」というのは,結局部活動が大人のものになっている証拠ではないかと思ったのである。
だから選手達にもう少し委ねてみても良かったのではないだろうか。
「いやお前,選手に決めさせたら出たいっていうに決まってんだろ」
という意見もあるだろう。たしかにそういう意見は多いだろう。しかし,本当にそこまで一方的な話になってしまうのだろうか。
もし私が監督で「将来のためにもこの試合は絶対に佐々木には投げさせられない」と思ったら,その理由を他の選手にしっかり説明する。それがこれまで頑張ってついてきた他の部員や応援してくれた親への義務だと思うからだ。
「今ここで投げることがいかに負担になるか」
「日本の未来を担う人材をここで潰したくない」
「結果よりも選手を大事にするチームでありたい」
そんな監督の思いをしっかり伝えた上で生徒達に判断を委ねるかもしれない。
そしてもし生徒達自身が「決勝は佐々木抜きでやりきろう」と出した結論だったら,この報道はもっと好意的に,さらなる美談として受け止められたのではないだろうか。
たとえ失敗したとしても,それは生徒にとって今後の人生の反省材料にもなるし,佐々木投手にとってもプロの世界で頑張るエネルギーになるのではないかと思うのである。
そしてもう一点この件について思ったことがある。
それが,
「決勝で佐々木投手に投げさせるようなうまい温存の仕方はなかったのか」
ということである。
決勝にいたるまでの佐々木投手の投球数を見ると,
二回戦 投球数19
三回戦 投球数93
4回戦 投球数194
準々決勝 登板なし(←準決のため温存)
準決勝 投球数129
決勝 登板なし(←将来のため温存)
であり,「投げた後はちゃんと休ませる」という監督の意向はしっかりと反映されている。
しかし,準々決勝で一関工に5ー0で快勝している点を見ると,もう少し早い段階で交代させて決勝のために温存することはできたのではないかと思うのである。
ということで,このニュースについての結論だが,私としては,
選手をちゃんと休ませるという監督の意向は素晴らしい。でもそのプロセスにはもう少しやり方があったのではないか?
というのが私の考えである。
そしてさらにいうなら,そもそも「投げない選択」が周囲から問題視されるような現行のルールにもやはり問題があるのではないだろうか。
これを機に球数制限もやはり考えるべきだと思ったのだった。
追伸
バレーもですけど,結局エースだのみというか,とんでもない回数ジャンプすることになるんですよ。その辺今の結果にこだわるか,未来を見据えるか。世の中全体の目が変わる必要があるかなぁとも思いましたね。今日も読んでくださりありがとうございました!