教職者K

教育について考えるブログ。

教師が時短だけを求めることに感じる違和感。

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この前本屋で教育のコーナー見てたら驚きましたね。

 

というのも、一番目立つところにずららららららっ!

 

っと

 

「時短」

 

の本が並んでるんですね。

 

本屋さんって言うのは人々のニーズを表しているものですから、これは、

 

 

教員がいかに長い労働時間に苦しめられているか

 

ってことを表しているわけです。

 

今の先生たちは子ども達との関係でも、授業方法でもなく、労働時間の長さに苦しめられているわけです。

 

かく言う私の残業時間は,

 

 

毎月80時間

 

 

をこえるくらいでしょうか。はい、思いっきり過労死ラインですね。

 

でもこれ以上はちょっと減らせないかなってくらい自分の中では削ってるんですよ。(ちなみにこれでも同僚の中では一番早く帰る方)

 

私の場合、朝は6;45には職場について,部活やって19時過ぎには帰っています。

 

本来定時退勤は16;40ですが、部活が18;00まで設定されているのでそれまではみんな確実に残るわけです。

 

そこから欠席した子に連絡したり明日の確認したりしていれば、19;00は超えます。

 

ガイドラインに従って部活はやっているので、土日のどちらかは休みですが,それでもどちらかは働くことになります。

 

大会の運営ともなると、ボランティアで土日丸2日拘束されることもあるわけですね。結果的に残業時間80時間は余裕で超えます。

 

命あっての仕事ですから、当然今のままではまずいんですけども。

 

ただ、私自身は単純に労働時間を短くすればいいのかっていうとそれは違うんじゃないかって思ってるところがあるんですよ。

 

ちょっとその理由について今日は述べたいと思います。

 

 

まず第一にですね、

 

プライベートと仕事の境目なんてない

 

と思うんですね。この仕事に。

 

子供から見た時に先生はいつでも先生なわけで。

 

「今は先生じゃありません」

 

と言ったところで子ども達は理解してくれません。

 

だから、学校にいる時間だけを短くしたところで教員という仕事がそこまで楽になるわけじゃないと思うんですよ。24時間私たちは教師なんです。なんかあれば必ず駆けつけなきゃいけないんです。

 

それに,時短を求めて学校で仕事しなくなった分,家で仕事することになるかもしれない。

 

さらに子どもと向き合う時間が減ってしまって,うまくいかなくなってしまったら,結果的にクレーム処理にこれまで以上に時間がかかってしまうことだって考えられます。

 

他にも自分だけが早く帰ろうと必死になったら周りの同僚が助けてくれなくなってしまって余計に時間がかかることだってあると思うんですよ。

 

つまり,私が言いたいのはですね,

 

 

単純に学校にいる時間を減らすことだけをめざしちゃうと余計に手間が増えるんじゃないか

 

 

ってことなんですよね。

 

 

だから思うに必要なのは時短じゃなくて,

 

 

教員の責任を減らすこと,

 

つまり,

 

減責(げんせき)

 

なんじゃないかって思うんですね。

 

というのも今の世の中家庭にも余裕がないですし,子供達をとりまく環境がどんどん複雑になっているんですけど,そのしわ寄せとなんかあった時の責任をとるのが学校にきちゃってるんですね。

 

 

もちろん子供預かっている以上、学校にいる間は責任を負うべきなんですけど、それがもう24時間責任あるみたいな感じすらあるんです。

 

 

そもそも私の学校の場合,定時が16;40までで,そこから先の部活はみんなボランティアでやっているわけですよ。

 

 

みんな専門外の競技だろうと子ども達のためだと思って頑張っているわけです。

 

 

それなのに,それなのにですよ?

 

 

なんか事故が起こったら学校がやりだまにあげられるわけです。

 

 

ボランティアだっつの。

 

ボランティアで教えてる上に子ども達の人間関係のこじれにまで責任負わせられたらたまったもんじゃないっつの。

 

家帰ってからの子ども同士のラインでのトラブルまで教員が責任をもつってやっぱりそこまでしたら歪みは出てくるわけです。

 

一般の社会でボランティアで参加しているものに対して連日クレーム入れられるってよっぽどのケースなはずなのに、学校という職場ではそれが当たり前に起こるわけです。

 

こんな風にですね,教員が背負わされている責任がちょっと重すぎるんじゃないかなって思うんですよね。

 

それが例えば,

 

「もう部活動は子ども達の自主的な活動ですから,先生には何があっても一切責任を問いません。事故・怪我学校は一切ノータッチです。それが嫌なら他のクラブに行ってくださいね」

 

って文科省が出して責任が無くなれば教員はもう行っても行かなくてもいいわけです。

 

興味がない人は行かないし,私みたいにボランティアでもいいからやりたいっていう人はやるわけですよ。

 

 

こうやって少しずつ教員の責任を軽くしていくっていうのが教員の仕事をより良くするって考えてるんですけどどうなんでしょう?

 

時短より減責、これ私の考えですね。

 

 

追伸

今日も読んでくださりありがとうございました。昔の日本の教師像は「師」なので,生活を丸抱えするイメージだったんですけど,グローバル化の進展でそのイメージが崩れてきてるとこあるんじゃないかなって思うんです。先生達が海外の先生みたいに教科教育に特化したいと思ってるあたりに最近の不満のタネがあるような気がしますね。