最近この本読んでたんですよ。
この本では「メリトクラシーの再帰性」という言葉が説明されていまして。
超簡単にいうと、「能力主義は常に反省する」みたいな話ですね。
例えば超優秀な東大出身者がいたとして。でもそいつが勉強がめちゃくちゃできたとしても、イコール仕事できるってわけじゃないよね、時代によって何が能力として評価されるかは変わるよね、みたいな話ですね。
日本のトップ偏差値大学は東京大学ですけど、就職に強いランキングだったら一橋大学だったりするわけで。
有名なイギリスの高等教育専門誌「Times Higher Education(以下、THE)」が2024年6月12日に発表した「THE大学インパクトランキング2024」では日本の大学だと北海道大学がトップなんですよね。
こんな風にですね、
何を指標とするかによって評価はいくらでも変わるし、絶対的な評価とか正確に測れる能力なんてのはない
っていうのがこの本の主張なんですね。
確かに『コミュ力』ってよく言われますけど、コミュ力の正体だって怪しいですよね。この人ならたくさん話せるけど、この人とはあんまり話が弾まないなんてのは誰にでも経験がある話なわけで。
めちゃくちゃ話をする人はかえって人の話を聞けないコミュ力のない人という評価をもらう事もあります。
だから、コミュ力みたいな測りようのないものが就職とかの場面ではさも測れるもののように扱われているのは不思議な話なんですよね。
同時に私はこの本の内容をスポーツに当てはめて考えました。
部活で日本一になるチームは、日本一良いチームなのでしょうか。
私は学生の頃はそう思っていましたが、教員になった今は全くそう思いません。
日本一になるようなところは、もはや一般の素人の生徒が入れないような体制のところが少なくないからです。
近隣の公立校で全国大会常連のチームがありますが、もはやレベルが高すぎて普通の生徒は入部お断り。それが公立の学校の望むべき部活動の姿なのか私には疑問です。
プロは勝ち負けで評価されるべきでしょう。もし億もらってる人達が「負けましたが一生懸命やったことを評価してください」と言うのであれば、そういう人達はプロを辞めた方がいいと思います。
ただ、アマチュアスポーツはそうじゃないし、そこが面白いところだと思うんです。
私は初心者の子達がバレーを上達するのがとても楽しい。
だから競技結果で一番にはなれなくても、
体罰や過剰練習をしていないチームの中で一番伸びていて、見ている人を感動させるチーム
にはしたいんですよね。その指標の中では自分が一番でありたいと思ってる。そして一番伸びた結果負けたならそれは仕方ないと思うことにしています。
同じように偏差値が高い学校が良い学校だとも思わないんですよ。今の高偏差値校に来てから特にそう思います。現状で全然私の理想とする学校じゃないですね。
じゃあどんな評価基準の中で一番になる学校や学級を作りたいのか
っていう所が私の考えるべきところなのかなと思いましたし、今の自分の課題なのかもしれないなと思いました。
みんなそれぞれの指標の中で満足できる成果を出したらそれで十分なんじゃないかなって思いますよ。
誰かの参考になれば幸いです。
読んでいただき、ありがとうございました!