歴史って嫌いな生徒が多いじゃないですか。それこそ暗記科目みたいなイメージというか。
(何が悪いってこれはテストの存在が悪いと思うんですけどね。入試がテストで判断される以上、どうしてもその暗記しなくちゃいけないっていうのはついて回りますから。)
でも,本来歴史を学ぶことっていうのは,入試に合格する以上にもっと有意義なことだと思うんです。
だからこそ,歴史の授業をする際には、まず最初に「なぜ歴史を学ぶのか」を子ども達に説明したい。
そうやって指導者側がちゃんと子ども達に説明できるかどうかが,子ども達の学習のモチベーションに直結するんじゃ無いかと思います。
なので今回は私の考える「歴史を学ぶ意味」を書いてみたいと思いますので、どうぞお付き合いください。
未来の予測が出来る。
歴史を学ぶ意義っていうのは,過去から未来の予測をして,同じ失敗をしないことにあるんじゃないでしょうか。
それこそ「戦争がいけない」っていう我々の常識を形作っているのは「歴史からそう学んだから」なんだと思います。
また今回のコロナに関してはカミュの「ペスト」が爆売れしているそうですが,これもみんなが「過去の事例を見て今に生かせることがないか」を探っているからですよね。
昔の人たちが感染症を乗り越えて今があるわけですから,それを参考にしない手は無い。
そんな風に,「過去を見れば,未来のことに予測が立つ」わけですね。当然未来が見えれば世の中を有利に生きることが出来る。
更に言えばしなくていい失敗を回避出来るわけですから,ある意味で歴史を学ぶことは「生存確率を高めることにもつながる」と言っても大げさでは無いかもしれません。
まねする対象を見つける。
前回の記事でも書いたんですけど,人の能力を伸ばす一番の近道は「模倣」です。
現代の人だけでなく, 過去の人をまねしようと考えたら,その幅が広がりますよね。
例えば伊能忠敬っていう人は,55歳から地図の測量を始めてるんですね。
江戸時代は人生50年って言われている時代ですから、今で言うと90歳のおじいちゃんが歩いて地図作りを始めるようなもんだと思うんです。
それを伊能忠敬は17年かけて4万キロ,地球一周分歩いて地図を完成させたわけです。
しかもその精度が現代のGPSで作ったものと誤差0.1%以下って言うんだから凄い。
私はそのバイタリティーが本当に凄いと思うし,年を取っても自分の限界を決めない姿勢を真似したいなって常々思うんですよ。
このように歴史上の人物達からその生き方をマネするっていうのは自分の人生にとってもプラスになると思うのです。
その対象を探すためにも歴史を勉強する意味はあるんじゃないでしょうか。
無常観を学ぶ。
他にも歴史のスケールから考えたときに見えることもあると思うんですよ。
例えば最近
「日本はもう先進国じゃない」
「日本が豊かな時代は終わった」
ってよく言われるじゃないですか。
それを聞いてそういう面も確かにあるなと思うんですけど,私はそもそも日本が先進国になったのなんて戦後から今までのわずかな期間の話なんじゃないかなって思うんですよ。
産業革命なんて欧米に比べて100年遅かった国ですよ。
奈良時代にしても中国からめちゃくちゃ遅れてたわけじゃないですか。
だからそもそもずっと先進国でいられるなんて言うのは,現代人の幻想なんじゃないかなって思いますし、例え先進国で無くなったとしても目まぐるしく国の地位みたいなものは変わるので,何がきっかけで変わるかなんて分からないですよね。
もちろん,じゃあどうするのかっていうことを考えるのは大事だと思うんですけど,歴史はそんな世の中の無常観を学ぶ格好の教材だと思うんです。そういう教材って他の教科にあんまりないですし。
(それこそ平家物語の冒頭の「祇園精舎」なんて本当にリズムも素晴らしいですし、もう世の中の理が集約したような傑作だと思うんですよね。)
社会を学ぶっていうことはそんな世の移り変わりと,人の世の虚しさみたいなものを知るきっかけにもなると思うんですよ。
「みんな努力すればうまくいくと思ってるけど,そうでもないんだよ」
「最後はみんな死ぬんだよ」
っていうことを教えてくれるというか。(こういうことは教員は言いにくい)
そんなことが歴史を学ぶ意味としてあるんじゃないかなって私は思ってるんですよね。
(ちなみに今回は参考にした本はこちら。)