教職者K

教育について考えるブログ。

私達はなんのために学ぶのか?

 さて休校が明け,いよいよ本格的に学校が始まりそうな気配である。

 

ずっと家にいた子達にとっては「なんで勉強なんてしなくちゃいけないんだろ?」と思いやすい時期でもあると思う。

 

というか,そうでなくても多くの子供たちが何のためにこんな勉強しているのかと思っていることだろう。

 

だって私も思ったもの。実生活の中でいまだに一度も三角関数を使った覚えがないのだが。あんなにも必死に勉強した時間はなんだったのか,とたまに思う。

 

先日それらのことについて考えたくてこちらの本を読んだので,こちらを参考にしながら「何のために学ぶのか?」を私見を交えながら書いてみたい。

なんのために学ぶのか (SB新書)

なんのために学ぶのか (SB新書)

  • 作者:池上 彰
  • 発売日: 2020/03/06
  • メディア: 新書
 

 すぐ使えるものはすぐ使えなくなる

池上彰氏は,本の中で「すぐ役立つことはすぐに陳腐化する」と書いている。

 

つまり,みんな今すぐ役立つものを教えて欲しいと思っているけれど,実はそういう知識こそすぐに使えなくなってしまうと言っているわけである。

 

これ私もそう思うのである。

 

例えば子ども達はゲームの攻略本を一生懸命に読み込んで知識を得ているわけだが,その知識というのは刹那的であり,実はひどく汎用性が低い。使えるのはせいぜいゲームにはまっている数か月だろう。

 

しかしながら,学問として学校で学ぶことは汎用性が高いものが多いわけである。数学の計算や国語の読み取りなんて一生使える。

 

私は実体験としてはないが,三角関数を理解していないと出来ないことは世の中には結構多いのである。(測量やプログラミングなど)

 

つまり,「これ何の役に立つんだろう?」と思うことの方が,実は長い目で見たときに色んなもののベースになっていて,長く使えるものだったりするわけである。

学んでいるとセレンディピティが起こる

そして池上氏は「学んでいる人にはセレンディピティが起きる」としている。

 

セレンディピティとは,思わぬ発展につながる偶然のことだ。

 

有名なのはスティーブ・ジョブズである。

 

彼は大学でカリグラフィー(習字)を学んでいた。その彼がパソコンと出会ったときに,「もっと文字のデザインにこだわりたい!」と考えた結果として今のアップルのスタイリッシュな製品がある訳である。

 

つまり,ジョブズがカリグラフィーを学んでいなかったら,あの革新的な商品達はこの世に生まれていないわけであり,このセレンディピティーこそが彼の名声を世に知らしめたのである。

 

このように,学んだ知識というのはいつか,どこかでつながる瞬間があるのである。

 

私自身、大学の時は全く分からなかったが,現場で働いていると,「これあの教授が言ってたわ…」という瞬間がちょくちょくあるのである。

 

ブログで毎日のように文章を書いていても,書きながら依然読んだ本の一文を急に思い出して参考にすることもある。

 

つまり,学んだことというのはその場で使えなくてもずっと私たちの中に沈殿していて,いつか何かと結びつく可能性があるのである。

学ぶことでストレスが減る

作家の林真理子氏は中学生のころひどいいじめを受けていたそうだ。

 

それも画鋲を乗せた手を握らされるなど,かなり悪質ないじめだったそうである。

 

しかし,その度に彼女は大好きな読書をし,空想の世界に入ることで自分を癒して来たという。

 

現実的に読書はかなりのストレスを減らすことが研究でも明らかになっている。

 

イギリスのサセックス大の研究によると,6分の読書で70%のストレスが軽減すると判明したそうだ。

 

つまり,学びとは癒しなのである。

 

我々は学ぶことによって癒されるように出来ているわけである。

 

ストレスが多い現代社会だからこそ学ぶことは自らを癒し,守ることにもつながっている。

学ぶことで人生が楽しくなる。

最終的に私はこれが一番大事だと思うのだが,学ぶことによって人生は楽しくなると思う。

 

高校の頃の化学の先生が「僕には分子が見える」とか言っていたので,大丈夫かこの人と思っていたのだが,今思うと,そうやって分子を意識しながら見る世界というのは,それが出来ない人間の見る世界よりはるかに豊かだと思うのである。

 

人によってその分野は違うかもしれない。デザインを勉強している人には,看板のデザインの一つ一つが興味深く映るだろうし,植物を勉強している人には何気ない道端の草花がまた輝いて見えるだろう。

 

学問とはそうやって色味の無い世界に色を付けていくことだと思うのである。面白き事なき世を面白くするすべこそが学びなのではないだろうか。

 

そして、そうやって得た知識が誰かを喜ばすことだってあるのである。

 

そういう人生の方が楽しいのではないだろうか。

 

 

ということで、今回は学ぶ意味について考えてみた。

 

日本は豊かで,学ばなくても生きていける国である。だから学びが必要だと思いにくいという側面がある。

 

これから学校が再スタートになるが,もう一度学ぶ意味を考えてから学習に取り組んでいきたいものである。

 

 

 

 

本日も読んでいただき,ありがとうございました!