教職者K

教育について考えるブログ。

校則が必要な3つの理由

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ツイッター上で人気なのがこの合法先生っていう人なんですけどね。

 

 

学校のあらゆることが実はかなりおかしいのではないかっていう視点で全国からたくさんのダイレクトメール集めて意見述べたりしているんですよ。

 

最近では校則について世論も批判的というか,校則をもう無くしてしまった学校もあるみたいで。

 

時代的にもう校則っていらなくない?っていう風潮が出てきてると思うんですよ。

 

 

ただそんな中にあって、実は私は全くそうは思っていなくて。校則ってあってもいいと思ってるんです。

 

ちょっとその理由を書いてみたいと思います。

 

 

① 力を伸ばすには型にはめるのが早い。

 

これスポーツのチームにも言えることなんですが,

 

強いチームほど規則が多い

 

んですよね。

 

ジャイアンツもヒゲ禁止みたいですし,バレーでも強豪チームは女の子でもみんな短髪です。

 

そうやって規則やルールを使って型にはめてしまうっていうのが能力を伸ばす上では結局手っ取り早いんですよね。

 

人が何かを成し遂げたいと思った時に,大切なのがウィルパワーって言われていて。これは自分の意思をどれだけ貫けるかっていう力なんです。

 

そしてそのウィルパワーは

 

やる力

 

 

やらない力

 

から構成されていると。

 

ダイエットに例えるなら,

 

やる力(毎日走る。入浴後にストレッチをする)

 

やらない力(甘いものを食べない。夜9時以降食べない)

 

っていう力なわけです。

 

単に何かをやる,やる力だけじゃなくて,

 

「我慢する」

「やりたけど今はやらない」

 

っていう「やらない力」が,何かを達成する人間になるためには必要なわけです。

 

このやらない力を育てる上で校則って一役買っているところあるんじゃないかなって思うんですよ。

 

不適応の子に声をかけやすい。

 

 

なんで子どもたちが校則を破るかって言ったらですね,

 

校則を破ることで注目を集めたいから

 

だと思うんです。

 

勉強やスポーツでは注目が集まらない,じゃあ校則を破ってでも大人の注意やクラスメイトの注目を集めたいってのが子どもたちの心理だと思っています。

 

だから,例えば「Tシャツの裾は必ずズボンの中に入れなければならない」っていう校則もはっきりいって時代にはあっていないとは思います。

 

でも,それがあることで,Tシャツ出す子は周りからの注目を集めることができるんです。

 

結果的にたくさんの大人に声(注意)をかけられるわけですから,子どもの要望は校則があることによって満たされると思うんですね。

 

 

でもそれが学校全体で当たり前になって,Tシャツ出すくらいじゃ注目を集められなくなってしまった子はどんどんエスカレートしていくんじゃないかなって。

 

最悪法に反することをしてでも大人の注意をひこうとするんじゃないかなぁと。

 

そういう意味で小さな決まりがあることも完全には無駄じゃないと思うんです。

 

 

③みんな実は校則が大好き

 

これ思うんですけど。世の中が実は校則や規則に縛られた学生のことを好ましく見ていると思うんですよ。そういうの期待しているところってあるよなって。

 

例えば高校生の野球が坊主ってもうはっきりいって人権侵害もいいところじゃないですか。でもいつまでたっても変わらない。

 

その理由はみんながそれを期待しているからだと思うんです。

 

「高校球児は坊主でなければならない」

「すべてを野球にかけていなければならない」

「長髪など言語道断」

 

そこまで言わなくても人の心理の中にそういうのってあるんじゃないでしょうか。

 

例えば私のいる学校でもですね,中学生が帰り道に携帯電話使って歩いたりしてるとですね,すぐ学校にクレームの電話飛んできますよ。

 

これたとえ校則無くして「学校的には問題ありません」って言ったとしても地域からの批判の声って止まらないと思うんです。

 

学校って地域とともにある場所ですから,やっぱり地域住民から良い目で見られないっていうのはつらいものがありますよ。

 

子ども達だって地域から「いい学生だ!」って言われた方が結果的にやる気になったり励みになったりするわけですから。

 

そうやって校則である程度健全な学生像を保つことがお互いにとってプラスになるんじゃないかなぁと。

 

 

ということで,今日は私が考える校則が必要な三つの理由について書いてみました。

 

もちろん人権を踏みにじっているもの,説明できないものについては変えていく必要があると思いますけどね。

 

 

でも完全に無駄でもないんじゃないかなってことを言いたかったわけです。

 

追伸

今日も読んでくださりありがとうございました。確かに自由な風潮の中で校則が時代にあってきてないところもあるのは事実だと思います。検討しながらゆるやかに変えていけたらいいと思うんですよね。