教職者K

教育について考えるブログ。

大地震を前に教育は無駄なものなのか。

学校が始まって、うちのクラスは全員出席して久しぶりに顔を合わせることができたんですけど。

 

朝の会で子供たちを前にして話しているときに、冬休み明けに全員で揃うという当たり前のことが叶わない子供たちが今日本にいて、この座席がどう頑張っても埋まらない教室があるんだなと考え始めたら、なんだかすごく悲しい気持ちになってしまって。

 

朝の会で子供たちの前で話さなくちゃいけないんですが、能登の話をしていたら言葉に詰まってしまいましてね。

 

伝えなくちゃいけないことは別にあるので、ちょっと話がぶれてしまうなぁと思って。

 

そう頭では分かっているので修正しなきゃいけないなって思ったんですが、自分の中で溢れてくる悲しい思いを止めることができなくて、上手く話をすることができなくなってしまいました。

 

能登の報道を見ていて特に悲しいと思ったのは、必死に身を守った男の子の話です。

 

その子はとっさにダイニングの机の下に逃げたにもかかわらず、天井が落ちてきて、そのまま机ごと下敷きになってしまい、亡くなってしまったということです。

 

私は「何かあったら、まず机の下に隠れようね」と日頃言っている立場なので、そういう学校の防災教育の無力さみたいなものを感じました。

 

そして、自分が言って来た事がもしかしたら無駄なのかもしれないと考え始めたら、何だかとてもやるせなくなって来て。

 

もしかしたら「机の下に隠れましょう」と教えていたその子の担任の先生は、そう教えていた自分を今責めているかもしれないとすら思いました。

 

この圧倒的な大地震を前にして日頃の学校の防災教育には一体何の意味があるのか、そう考えずにはいられませんでした。

 

でも、よく考えると「防災で身を守れた子達についてはまだ報道されてないだけかもしれない」とも思うようになりました。

 

今はまだ全容すら見えていない状況です。でもきっと日頃の防災教育による教えや備え、学校が促した保護者とのやりとりが役に立った子もいるのではないかと思ったのです。

 

何よりパニックになっておかしくないほどの大きな揺れが起こった時にその子が机の下に入った、咄嗟の時にそういう行動が取れたというのは教育の成果とも言えると思います。

 

その子の上にあった机はほんの数%だけかもしれませんが、衝撃を和らげてくれていたのかもしれません。

 

だから私は、この話から改めて子ども達の命を守るこの仕事の責任の重さと、伝えることの大切さを感じたのでした。

 

いざという時に子ども達が取る行動は、我々が教えていることです。子ども達は本当に忠実に、素直にその教えを守ります。

 

だからこそ、我々は自分が教えることに責任をもち、常に研究して少しでも効果のあるものを伝えないといけないんだと思いました。

 

そのことを心に留めてこれからの仕事に励みたいと思います。

 

今回の地震で亡くなった全ての方の冥福を祈ります。

 

合掌。