教育方針に個性が表れるところとして,「型にはめるのかどうか」というのが一つあるだろう。
一般に日本の指導者は型にはめがちだと言われている。私もどちらかといえばそういうタイプで,レシーブやスパイクなど最初に必要最低限の型を教えることが上達への近道だと考えているわけである。
しかしながら,最近読んだこの本。
この中では、あれこれ親が先回りして教えた(型を教えた)結果,教えてもらえないと動けない子が増えていることを指摘していた。
教えてもらうことが当たり前になった結果、段ボールや廃材を前にしてどう遊んでいいか分からない子どもがいる。
そんな型を教え込むことで子ども達の自由な発想を奪っている側面が指摘されていたわけであるーーーーーーーーーーーーーーーーー。
ちょっと前の話だが,娘の通っている幼稚園で親子手作り凧揚げ大会なるイベントが開催されたのである。
凧にペンで子ども達が絵を描き,それに骨組みを張り付けて飛ばすというもの。
周りの家庭を見回すと,みんな色とりどりのペンを持ち込み,更には下絵まで持ち込んでいるのである。
ミニオンズ…
ポケモン…
パウパトロール…
おしり探偵…
すみっコぐらし…
下絵を下に敷いて上からなぞった結果,人気キャラクターの凧が次々と完成していく。
一方で我が家と言えば下絵ナシ。
妻から渡されていたのは赤と黒のマジック二本のみである。
課金されてない初期のアバター状態の我々。
この2色で書けるのは何か…
私の頭に浮かんだのはシカゴブルズのマークである。
(さすがに幼稚園児これはいやだろ…)
そう、この状態でどうしていいのか分からなくなったのは,他でもなく型にはめられることに慣れ親しんできた私だったのである。
「パパを書く」
思いついたように娘はそういい,私の顔を黒ペンで凧に書き始める。
そしてすぐに飽きる。つける色も無いのでものの2分で絵の完成である。
「もう少しなんか書いてみたら?」
という私のどうしようもない助言により娘はなぜか顎のラインだけをひたすらに赤ペンで書き足し、八重アゴになる私。
そしてそれを校庭で飛ばす。寒空の中で私の顔は空中に舞い上がる。
そして,ガンガン木に叩きつけられるお父さん。
枝に絡まってとれなくなるお父さん。
地面に叩きつけられるように落下するお父さん。
と様々な表情を見せてくれたわけである。
そして数回やると「もう帰る」と娘は言い出した。
下絵に十分な時間をかけた他の子はまだ作り終えたくらいで,これから遊ぶところなのである。しかし娘は「帰る」と言って譲らない。
一応帰っていいのか先生に確認したところ,「十分に遊んだのであればいいですよ」という許可をいただいた。
結果として父親同伴による堂々の早退をしてきたのである。(←今後が心配)
一連の経験を踏まえ,帰宅後の私は妻に対して「下絵があった方がいいものが出来たのではないか?」という意見を提示したのだが,「それなら既製品買った方がよほどいい。今しか書けない自由な絵を描くべきだし,残しておくべき」と却下されたのだった。
妻の意見はもっともだと思うし,そうやって型にはめられていくから日本人は表現することに対して憶病になってしまうのかなとも思った。
しかしながら,一度作った凧はそれっきり娘は見向きもしようとしていない。
教育とはなかなかに難しいものである。