教職者K

30代教員の日々の徒然。

街角の名言集②

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寂しいのである。最近の私は。

 

何が寂しいか、「平成」が終わることである。

 

なんだろう、昭和生まれの私だが、平成が終わってしまうことに猛烈なノスタルジーを感じている。

 

なぜか。

 

それはきっと平成には私の青春が詰まっていたからである。

 

平成で流行ったもの、それらに私はしっかりとハマってきた。

 

たまごっちを見せびらかしたくて学校にこっそり持って行き、授業中に鳴ってしまったのを必死でごまかしたのも平成。

 

ベッカムに憧れてソフトモヒカンにしたのも平成。

 

ミニ四駆にハマって竹串を搭載したミニ四駆を児童館で暴走させて一輪車をパンクさせたのも平成。(その記事はこちらから。→http://rabits-volley.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-e8e8.html

 

ステディ&コーの「春夏秋冬」に憧れて廊下で歌っていたのも平成である。

 

「季節は流れて〜」

「へーい!」

「過ぎ去りし日々よ〜」

「ほー!」

 

みんなそこから先の速いの部分は歌えないからひたすらにそこだけを繰り返していた。思い出すと相当ださいが、そんな日々もまた平成である。

 

いや、それだけじゃない。スリランカに行ったのも、教師になろうと思ったのも、教壇に始めて立ったのもみんな平成の話である。

 

そんな平成が終わろうとしている。私はこの平成の終わりに、「自分の一番輝いていた時期の終わり」を重ね合わせているのかもしれない。

 

ここから先の「令和」では私のような世代では熱中できないものがどんどん流行っていくのだろう。

 

そんな片鱗はすでに平成の終わりから感じ始めていたのである。

 

今年は2回目の卒業生を出したのだが、卒業式で生徒から「写真撮ってくださいー!」と言われた時にも違和感は感じていたのだ。

 

 

写真を撮ること自体はいい。

 

でもなんでSNOWなんだ。

 

 

カメラを向けられると、自動的にパンダにされた私。

 

「いや、なんでSNOWなんだよ」

 

と言うと、

 

「これで撮ると盛れるんですよ〜」

 

とのことである。

 

いや、自分を盛るのは構わないが、私まで盛らなければいけないと判断するのはいかがなものだろうか。記念写真がパンダっていう感覚に私はちょっと驚いてしまったのである。

 

令和に入るということは、きっとこうやって理解できないものが増えていくのだろう。

 

 

そんなことを考えていたら私はなんだか寂しさを感じてしまい、

 

「令和かぁー」

「平成が終わるのかぁ。。」

 

と家で一人でなんどもつぶやいていたのである。

 

すると奥さんからこんなことを言われたのである。

 

「うるさいんだけど。」

 

「感傷に浸りすぎでしょ。っていうかね、まだ私たち人生の半分も生きてないからね」

 

「私たちの人生の半分以上は令和になるんだよ」

 

あぁそうか。これまでいろんなことがあったが、まだ半分も生きていないのである。

 

平均寿命が伸びていることを考えたら、今の32歳など、昔の20代みたいなものだろう。

 

そう考えたら、大切なのは、平成の終わりを惜しむことよりも、令和で何ができるのかを考えることなのかもしれない。奥さんもいいこと言うもんである。

 

とりあえず、令和は人生で一番長くお世話になる元号になりそうである。私にできるのは、平成で培ったものを令和でさらに世の中に還元していけるように頑張るだけである。

 

娘が青春時代を過ごすであろうこの令和という時代も平和が続くことを祈っている。

 

「私たちの人生の半分以上は令和になるんだよ」(奥さんの言葉)

 

追伸

時代が変わりますね。ついていけるように必死に頑張らないと!今日も読んでくださりありがとうございました!