教職者K

30代教員の日々の徒然。

ストップ中高一貫。

f:id:suno200002000:20240723080802j:image

全国的に中高一貫校って増えてるんですよ。

 

(参考)

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kaikaku/detail/__icsFiles/afieldfile/2017/04/13/1384268_001.pdf

 

我々の世代にはあまり馴染みのないものですし、6年かけて大学受験に備えるのはいいんじゃないかって気もするんですけど。

 

ただ実際に私自身が中高一環で働いていて、正直この流れってあまり良くないと思っているし、自分の子どもは絶対入れたくないと思っているのでその理由を書いておきます。

 

大事な時期に運動しない

まずこれ。中高一貫を受験する子達は大体小学校4年生くらいから受験勉強に時間を費やします。

 

そうなると運動能力とか、体の基盤が出来る時期にほとんど運動経験がないまま中学生になることになります。

 

こうなるともう、伸びしろがほとんどないんだなって感じています。

 

私自身、運動部の顧問をしていますが、これまでと同じようにやっているにも関わらず、運動経験が無さすぎてあまりに伸びない。練習しても練習しても基礎ができないから、戦術の使いようがありません。

 

部活で負けるくらいならまだいいですが、何よりその体力のなさが精神の弱さに繋がっているような気がしてならないのです。

 

小さなことで必要以上に悩んだり、落ち込んだり。高い学力と引き換えに人間としての生きる能力を失っているようにさえ見えます。

 

(勿論全員とは言いませんが、そういう子がとても多いです)

 

今の中高一貫校への入学競争がそういう脆い子を増やし続けていないか、私はとても心配しています。

多様性のなさ

そしてこれ。多様性がまるでない。

 

成田悠輔氏も言っていましたが、「試験の透明性を確保すると、生徒の多様性は失われる」わけです。

 

つまり、点数でのみの合否になると、必然的にテストで高い点数がとれる子のみが合格することになります。

 

なのでアメリカの大学とかだと、人種などによって加点し、学校の多様性を確保しているわけですね。

 

勿論日本の学校でそういうことは許されないので、試験の透明性を優先した結果、うちに入学してくる子は、「小学校の頃から課金されまくって学力を伸ばしてきたお坊ちゃま、お嬢様」になるのです。

 

問題はそれしかいないことですね。

 

普通の学校にいるような低学力だったり、特別支援学級の子はいません。なので、そういう人と触れ合う場面がほぼないので、多様性だったり、そういう違いを乗り越えて協力しなければいけない場面があまりに少ない。

 

ちょっとの違いにも戸惑う子がとても多い。だから、そういう子達が世の中に出た時に本当に多様な人達と手を取り合えるのか、弱者に対して手を差し伸べられる大人になるのか、私は疑問です。

特権意識

あとこれは塾の影響も多いのですが、彼らは偏差値を戦闘力のように見ていて、それだけが唯一の価値であると勘違いしています。

 

小学校の頃から受験を意識して競争してきているからでしょうか、偏差値の低い人間を見下す傾向にあります。

 

小学校の頃から順位が張り出され、それに一喜一憂して来ているので、気持ちは分からんでもないですが、あまりに偏差値のみを心の頼りにしていて、それ以外の能力を軽視しすぎている。

 

道徳心だとか、コミュニケーション能力だといった測りづらい能力を置き去りにしている子が多い。

 

自分自身も偏差値を拠り所にしているので、テストの結果だけに一喜一憂して過度に落ちこむ。これが果たして未来の日本を背負っていく子達の姿なのだろうかと思います。

 

中高一貫の増加に伴う受験の加熱がこういう子達を増やしてしまわないか、私はとても心配です。

 

実際にそういう子が多いからでしょうか、偏差値以外の話に聞く耳をもたない子が多いので、職員の中にも「早く転勤したい」と言っている人が少なくありません。

 

私自身、ずっとそう思ってきましたが、今は「そんな中で何ができるか」を考えるべきだと思うようになりました。(でも何も変わってません。ちくしょう!)

 

何にせよ、今の中高一貫が増える流れというのは、かえって画一的な価値観の人間を増やすことに繋がる気がして私は賛成できませんね。

 

みなさんのご家庭の進路選びの参考になればと、思います。

 

読んでいただき、ありがとうございました!