教職者K

30代教員の日々の徒然。

教育の意義とは

今年心が動いたことの一つに前の職場の教え子が、今の学校に高校生として入ってきた事が挙げられる。

 

これまで中学で生徒を送り出して終わりだったのが、今の職場は中高一貫なので、「送り出したその後」を見る事ができるのである。

 

その子はバレー部で関わっていた子なのだが、あまり運動能力は高くなく、どちらかというと本来なら文化部を選びそうなタイプ。

 

だから前任校で関わっていた時、本人には言っていないがKは試合の中でその子を「いかに隠すか」を考えていたのである。

 

ローテーションの中で1番狙われにくい位置に置く。相手が打ちにくい場所に置いて、ボールのタッチ数が必然的に少なくなるようにして勝利を優先してきたのである。

 

そのチームは素人のみながら県大会でも上に行けるだけのポテンシャルのあるチームだったので、そういう形をとっていた。

 

だから高校に進学したその子がバレーボールを選ばなかったのは残念ではあるが、ある意味で仕方ないとも思っていた。高校でやれるほどの力がないのは自分でも分かっていただろう。

 

その子はボランティア部で活動していたのだが、ある日グランドでハンドボール部で活動している姿を見て驚いた。なんでもボランティア部と兼任して活動を始めたらしい。

 

そして更に驚いたのが、その子はキーパーとしてすでにレギュラーで活躍しているのである。

 

大きい子ではないのだが、ビュンビュン飛んでくるシュートを両手両足を伸ばしてバンバン止める。

 

そして止めたボールをセンターラインまでスローイングして送る。

 

人数ギリギリのハンド部の中でその子は期待のルーキーとして立派に活躍しており、先輩からたくさんの声をかけられていた。周りにたくさん声をかけて盛り上げるコミュニケーションを取るうまさは昔から変わっていない。

 

その姿を見てKは、この子が中学でバレーをやっていた経験はけして無駄ではないと思えたのである。

 

高校でバレーを選択することはなかったが、ボールを恐れずに向かっていく姿や、スローイングの姿はバレーボールで得たもの。

 

何よりひたむきに競技に向かうその姿や、運動が苦手なその子が高校でも運動部を選んだという事実には、中学でバレーをやってきた土台が大きく関係していると思えた。

 

この事から、直接的なつながりはなくても、我々の教えた事、伝えた事というのは色んな形で子ども達の中に残っていくのだと、その子の姿から学んだ気がするのである。

 

インターハイに行くから凄いのではない。

 

東大に行かせたから凄いのではない。

 

何気ない日常の振る舞いの中に、教育の意義はある。