幼少期の経験というのは生涯人の人生に影響を及ぼすものだと思う。
最近娘に話しかけている姿を見て、妻から「お義母さんにそっくりね」と言われた。
なるほど、私の話しかけ方のリズムは自分の母親そっくりらしい。多分なのだが、私は乳児の頃にあやされた記憶を無意識のうちに繰り返しているのではないかと思うのだ。
こういうことは他にもあって、私はいまだに小学校の時のクラブ決めの時のことを覚えている。
私はパソコン部に入りたかったのだが、パソコンの台数が限られているため、クラスから4人までという制約があった。
運悪く、その枠に手を挙げたのが私を含めた5人だったのである。先生はその5人に「君達で話し合って決めて」と言った。
本当に嫌だった。私以外のその4人というのが仲のいい女子のグループだったのである。しかも性格がキツイ軍団。縄張りを大切にするボス猿達の群れ。
本当にめちゃくちゃ嫌だったのだが、私はパソコンがやってみたかったので応戦することにした。しかし、五人での話し合いを始めると、オンナ達は
「ねえ、他の部に行ってよ」
と先制パンチを打ってきたのだ。
当時今とは比べものにならないくらい気が弱かった私だが勇気を振り絞って、
「え、僕もパソコンやりたいよ」
と草食動物のように潤んだ瞳で一応言ってみた。
しかし、
「え、でもあんたが諦めたら私らパソコンやれんじゃん」
とその肉食な女どもは言ってきたのである。このまま食い下がったら私は食い殺されることだろう。
身の危険を感じた私は、「全然いいよ〜」と心に傷を負いながら平気なふりをしたのである。
かくして高原の羊が犬に追われて場所をうつるように、私はいそいそと囲碁将棋部へ行くことになった。
こういう経験もあって、発言力のない子が意見を言えないクラスっていうのは本当に嫌だなと今でも思うし、そういう思いをする子を出したくないと今教師をやっていても常々思う。そういう昔の思いが今の自分の学級づくりにつながっているのである。
最近もそんな未来につながる思いみたいなものが生まれる瞬間に遭遇した。
デパートで、泣きわめく2、3歳くらいの子がいたのである。
どうやらクレーンゲームがやりたいが親に認めてもらえないらしい。床に寝っ転がって泣いて抗議している。
「やーりーたーいー!(びぇーん)」
「ダメって言ったでしょ。ほら、行くよ」
そんなやりとりを繰り返しているが、いっこうにその子は認めてもらえない。
「おーねーがーいー!(びぇーん)」
「ダメって言ってるでしょ。ほら置いてくからね」
母親は絶対に認めない構え。鉄壁のディフェンス、カテナチオである。
徹底した防御を前に、その子は最後にこんな一言を号泣しながら親に向かってシャウトしたのである。
「(ぐすん、ぐすん、)いつか、いつか、大人になったら取りに来てもいいですか?!」
名言である。
欲しいものが手に入らない哀愁。そして敬語を使う背伸び。
大人として見てもらいたい、そして、早く大人になりたいという少年の心の中が透けて見えるような素晴らしい一言が私の胸に響く。
いつか君にも大人になる時が来るだろう。その時には今以上に悩みが増えているだろうが、それは大人になった証でもあるのだ。
いつかこのクレーンゲーム機の前で出来なかったことが出来るようになった自分を実感して欲しいものである。
名言No.1
「(ぐすん、ぐすん、)いつか、いつか、大人になったら取りに来てもいいですか?!」
(見知らぬ少年の言葉)
過去の名言はこちらから。
http://rabits-volley.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-6c65.html