教職者K

教育について考えるブログ。

生徒会の話。

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「学校の三本柱は勉強・部活・生徒会だよ」

 

これは私が初めて講師として学校に勤めたときにベテランの先生から最初に言われた言葉である。

 

当時まだ経験もなく,生意気だった私はこの言葉を「ふ~ん,そんなもんですかねぇ~」と斜に構えて聞いていたのだった。

 

いや,部活と勉強は分かるのである。

 

勉強は学校時間の大半を過ごす時間であり,受験にも関わる重要なものだ。

 

部活で得られる体験が大きいのも分かる。色々問題はあると言ってもあの興奮に勝てるものはない。

 

しかし,

 

生徒会とは本当にそこまで子ども達に影響を与えるものだろうか

 

そこが疑問だったのである。

 

私自身,生徒会活動をしていたが,なきゃないでそれなりの学校生活だったと思うのだ。

 

それに,例えばの話,あいさつ運動にやりがいを感じている学生などいるのだろうか。

 

全国どこでも「あいさつ運動」なる運動が行われているわけだが,いったいどれだけの学生がその活動に対して使命感を感じて居るのか甚だ疑問である。

 

もっと言ってしまえば無くても構わないのではないだろうか。

 

子ども達の係決めの様子を見ていてもそうで,本気で子ども達がやりたくて手を挙げるのは,放送委員ぐらいのものである。

 

(ちなみに好きな曲をお昼にかけられるからである。大概ジャニーズを聞きたい女子がこの職に就く)

 

それ以外の委員会は押し付けになっていることも多い。だから実際のところ私は生徒会が子ども達に与える影響については懐疑的なところがあったのだ。

 

しかし,先日考えが変わる体験をしたので書いておきたいーーーーーーーー。

 

私は突然,校長から「明日の朝○○中に行ってこい」と命じられたのである。校長曰くその学校の生徒会がかなり特色があるから見て勉強して来いというのである。

 

行くといきなり驚いたのが,まず私の名前と所属校の校章が入った紙がでーんとプリントされて玄関に貼ってあるのである。

 

なんだこれは。スタートから温泉宿的なもてなし方である。

 

そして中に通されると,校長室で校長先生と談話。

 

何でもこの学校は,被災地だったこともあり,支援を受ける中で今も全国のいたるところと交流をもつ学校らしい。

 

その数なんと40校。ひっきりなしにお客さんがくるために,子ども達はその対応がもはや慣れたものなのだそうだ。

 

そこに生徒会の子達が来た。

 

コンコン(ノックの音)

 

「お話し中失礼いたします。本日は本校にお越しいただきまして誠にありがとうございます。セレモニーの準備が出来ましたので,体育館まで移動をお願いいたします」

 

そう言われたのだが,まずこの言葉がまず大変丁寧で立派である。こんなにも丁寧な言葉で中学生が話しかけてきたら嫌な気はしない。そして私が行こうとするとドアの開閉もすべて生徒がやる。ちょっとやりすぎなくらいやってくるのである。

 

そして同時に私は「セレモニー」という言葉に驚いた。

 

というのも,私がこの学校に来ると決まったのは前日の夕方なのである。(校長の思いつきで決まった)

 

だから準備をする時間なんてほとんどないはずなのである。それでもセレモニーをするというのだから,子ども達が相当鍛えられている。

 

体育館に入ると盛大な拍手で迎えられた私はいきなり壇上へ。(ちょっと恥ずかしい)

 

そこで生徒会長が何も見ずにスラスラと歓迎のあいさつを言う。

 

その文の中には私の名前も入っており,中学生が時間が無い中でこれだけの文章を読み上げることに驚かされる。

 

ちなみに私は失敗するのが嫌で,自分の結婚式ですらも紙を読み上げながら謝辞を述べたヘタレ新郎である。

 

あの時に戻れるなら自分に言ってやりたい。

 

「お前,中学生のが立派だよ」と…。

 

そして会長の挨拶のあとは,全校生徒による学校紹介の呼びかけ。

 

エール係の生徒を筆頭に学校の紹介や校歌が全力で行われる。

 

そして最後は全校で記念撮影である。

 

セレモニーが終わり,こちらが帰ろうとすると,「本日は誠にありがとうございました」と言って生徒会の生徒が先ほど撮った写真を私に届けに来るではないか。

 

なんというホスピタリティー,そしてパッケージ化されたもてなし方。

 

こんなことを年間でかなりの回数繰り返しているという。

 

他にも呼ばれて全国にある様々な学校に生徒会の子達が行くこともあるようだ。

 

私は正直、ここで初めて「特色ある生徒会」を見た気がしたのである。

 

ここまで大人をもてなしたり,客人を迎え入れることに長けた中学生が一体どれほどいるだろうか。

 

もちろん子ども達がそういう風になっているのは,教員側が他校とのつながりを切らないようにしたりするなど、綿密に計画しているからである。

 

しかしながら,その上で子ども達は実に自分たちのやっていることに誇らしそうな顔をしてやっているのである。

 

はっきりいって学力が特別に高い学校というわけではない。難しい家庭環境の生徒も多い地域だ。

 

不登校やいじめが無いわけでもない。しかし,普段学級に抵抗を示す子が,こういったセレモニーの場では生き生きとしてエール係をやる。

 

私はこれまで自分の常識の中で考えて来た生徒会というものがいかにつまらないものだったかに気づかされた気がした。

 

「アイディアの量は移動距離に比例する」

 

そういう言葉を聞いたことがあるのだが,もっと生徒会の子達を移動させれば良かったと今さらながら思った。

 

そうやって移動させて交流させた中で自分達の学校の特色や,新しい活動の着眼点が見えたことだろう。

 

(そういえば私もこっちに来てから初めて長野の「無言清掃」が異常だと気付きましたからね)

 

今はなかなかコロナで移動するわけにも行かないが,そうやって教員側がセッティングさえすれば子ども達は生徒会活動を通して本当に生き生きとしてくるということを学んだ。

 

ちょっとどこまで出来るか分からないが,今年の課題の一つとして取り組んでみたいと思っているところなので、書いてみた次第である。