これ私と他の先生でよく意見分かれるところだと思うので、書いてみようと思うんですけど。
私は基本的に子ども達がいろんな場面で逃げることを否定しません。
他の先生は子ども達が勉強から逃げてワーク提出しなかったりすると、捕まえて強制してまでやらせたりするわけなんですが、私は基本的にやりません。
宿題から逃げてもあんまり言いません。
そんな
「逃げること推奨派」
の私なわけなんですが、どうしても学校にいると私の方が少数派で頭おかしい奴だと思われるんですね。
なのでなぜ私がそのように考えているかを説明したいと思います。
逃げるとは勝てる場所に行くこと
まず思うのが,逃げるとは「勝てる場所に行くこと」だと思うんですよ。
私自身も教員採用試験に落ちて,もう正直受けたくなくて海外行ったところあるんですけど,
途上国なら自分は現地の人がもってない知識をもっている特別な人になれた
わけなんですね。
それに今も自分の出身県に落ちたことで別の県にいるわけなんですけど,そのことが逆に「他県の教育を受けてきている」っていう自分の強みにもなっているわけですよ。
そうやって逃げるっていうことには自分の勝てる場所にいくっていう意味があるんじゃないかと思うんです。
それに苦手でもう嫌になってること頑張っても好きで努力してる人間には敵わないじゃないですか。
だからこそ逃げたりしながら自分がそれなりに勝てて自己重要感を感じられる場所を探していく方が大事なんじゃないかなって思うんですよね。
逃げることで世の中が良くなる
逃げるっていうのは世の中が良くなることにも貢献しているわけなんですね。
例えば労働環境が明らかに悪い会社がなんで潰れないかって言ったらみんな「逃げない」からじゃないですか。
そこをみんなが逃げて行ったら会社は潰れますから,労働環境を変えざるをえないわけで。
そういう意味でも逃げるっていうことが世の中全体を良くしていくことにも貢献することになると思うんですよね。
逃げて分かることがある。
私自身高校で部活辞めたんですけど,その時色々分かったことがあったんですよね。
それが,
自分バレーめっちゃ好きだったんだな
ってことだったんですよ。
色々不満があって辞めたわけなんですが,いざ辞めてずっとやってみたかった髪を染めてみたり,アルバイトしてみたりしたんですが,これが
全然面白くなかった
んですよ。
「あれ?あんなにバレーやりたくなかったのに、今めっちゃやりたいじゃん…」
って自分が思っていることに気づいてしまったんですよ。
結局部活に戻ったんですけど,そういう気づきっていうのも逃げて初めて分かったことなんですよね。
病気のリスク
我慢が美徳の文化が小さい頃から日本人は植え付けられているじゃないですか。
そうやって頑張ることを続けた結果,逃げるタイミングを失ってしまって病気になってるんじゃないかと思うんです。
これまで私も何回も同僚が病気になるのを見てきました。(教員はうつ病がとても多い仕事です)
私も基本的に根が真面目ですから,正直いつ病気になってもおかしくないなってわりと本気で思っているんですよね。いざその時が来たらちゃんと逃げられるのかって。
だから健康に生きるためにも逃げるスキルもっていたいなって私自身思うんですよ。
逃がさないのではなく、やってみようと思わせるのがプロ。
例えば宿題をやらない子に対して捕まえてやらせるみたいな「逃がさない」指導はプロのやることじゃないと思うんですよ。
プロは「強そうだけど戦ってみようかな」って子ども達に思わせるのがプロだと思うんですよね。
だから宿題にしても、子ども達がやって来ない時っていうのはそういうやりたくなる課題を提示できていないこちらが悪いわけで。
無理やりやらせて勉強が嫌いになるよりは,好きに遊んでもらったほうがよほど良いと私は考えているわけです。
逃げる勇気。
そして「逃げる」ってことが否定的に捉えられてますけど,逃げるってめちゃくちゃ勇気いりますからね。
想像してみると分かりますけど,例えば
奥さんと子供抱えて仕事辞められますか?
私自信ないですよ。やっぱりどこか迷惑かけちゃんじゃないかなとか思いそうですもん。
だから逃げるっていう選択がとれたのは戦うのと同じくらい勇気を振り絞った証拠だと思うんですよね。
だから世の中全体が
「逃げる」
ということを,
「新しいことに挑戦する」
と捉えて前向きに見守れたらいいなと思っております。
まっ私の場合いざやばくなったらすぐにでも逃げる所存です。
その時はまたブログのネタにでもしますわ。
読んでくださりありがとうございました!