教職者K

教育について考えるブログ。

本当の思いやりの話。

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道徳の授業を苦手としている教員は多い。

 

その理由はいくつかあり,教科になったことで評価しなければならなくなったことや,子ども達に合わせた発問が難しい,などいろんな理由がある。

 

他にも道徳が敬遠される理由の一つに

 

「自分が道徳を教えられるような道徳的な人間でないから」

 

というのが上がるのである。

 

確かに人間誰しも完全ではなく,それゆえに人に堂々と道徳を説くのはなかなか勇気がいる。

 

私もそんな理由からなかなか自信をもって道徳

を教えられない一人なのであるーーーーーー。

 

 

 

 

 

 

先日クラスで道徳があったのだが,こんな教材だった。

 

 

ある老夫婦の妻が病気で倒れてしまう。そして妻の回復を信じて夫は献身的な介護をする。

 

 

夫の献身的な介護の成果もあって少しずつ回復してきた妻。

 

そんな妻が家事をする夫に対して「手伝いましょうか?」と声を掛けるのだが,まだ身体が思うように動かせない妻を手伝わせるのは悪いと思って夫はこの申し出を断る。

 

そして断ってしまったことを,後々になってとても後悔しているというのだ。

 

というのも,やはり出来ることは本人にやらせるべきだったのではないかと思うようになったというのだ。

 

家事が出来れば妻の自信にもなったかもしれないし,

 

妻が出来ることを維持していくためにも仕事を任せることが必要だったのではないか。

 

 

それこそが本当の思いやりなのではないか,

 

 

と書かれていたのである。

 

 

この題材をもとに生徒達は

 

「本当の思いやりに必要なものは何か?」

 

を考え,さらにそこから

 

「『本当の思いやり』というテーマで,自分の経験したことを書く」

 

という授業だった。

 

その発表の場で生徒の一人から,

 

「私はクラスの係の仕事は自分一人でやりたい。でも何回も何回も「手伝うよ」とみんな言ってくるから正直ちょっと嫌。断るのも面倒」

 

みたいな意見が出たのである。

 

これを聞いてみんな

 

「わっわかんねぇー!!」

「何もできない!!」

「ありがた迷惑になっていたのか…」

「先生,思いやりって結局なんなんですか?」

「何もしない方が良いってことですかね?」

 

 

と聞かれ,恥ずかしながら私は

 

「うーん,結局なんなんだろうね…。いやぁ難しいよね,思いやりって」

 

と,そもそも思いやりがないタイプの私は,うまく答えられなかったのであるーーーーーー。

 

 

 

 

 

 

そして,今日もそんなことが起こった。

 

妻が美容院に行きたいと言ったので,私は二つ返事で引きうけたのである。

 

午前中部活を行い,午後は一目散に家に帰って娘を預かる。

 

私は娘をつれてイオンに行き,いつもはさせてもらえないであろう,有料の遊び場に連れて行ったのである。

 

妻は普段こういうところに娘を連れて行かないので,

 

「ふふ,今日は特別だぞ。」

「ママには内緒だぞ」

「思う存分遊ぶが良い」

 

そんな気分で娘を眺めていたのである。

 

風船の部屋で夢中になって風船を追いかけ回す娘。

 

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よしよし,連れてきて良かった。

 

私はそんな思いで娘を見守り,私なりの思いやりをもって娘に接したわけである。

 

しかし,帰り際になると,あまりに楽しかったのか,娘がもう全く帰りたがらないのだ。

 

連れて行こうとすると大泣き。しがみついて出ようとしないのである。

 

どうしよう,もうそろそろ妻のパーマも終わる時間である。

 

そう思って手を引くのだが,入り口にしがみついて出ようとしない。

 

どうしよう,このままでは妻が昔の笑福亭鶴瓶みたいになってしまうかもしれない…。

 

 

焦った私は泣いている娘を無理やり引き剥がし,カートに乗せて帰ってきたのである。

 

楽しみを奪われた娘は更に号泣,カートでの移動中も泣き,帰りの車の中でも大号泣。

 

ついには家についても泣き顔のまま妻に抱きついたのである。

 

申し訳ない気持ちになった私は,正直に事の顛末を妻に報告したのである…。

 

「あのですね…,イオンの有料の遊び場に入れてみまして…」

「すごく楽しそうで,帰りたがらなくて…」

「こうなっております…」

 

すると,妻からは

 

「どうしてそういうことをするのか」

「普段行けないんだし,また行きたがられても困る」

「他の遊び場が刺激が少なくてつまらなくなってしまう。遊ばなくなったらどうしてくれるのか」

 

とまたしてもご指導をいただいたわけである。

 

言われながら私が想像したのがアフリカの子ども達である。アフリカの貧困層の子ども達にヨーロッパのボランティア達がコーラを配ったところ,

 

「私たちには子ども達にそれを与えるお金が無い」

「また子どもが欲しがったら困る」

「だからやめてください」

 

と母親達から怒られたというではないか。

 

私はこの話を聞いていたし,もっというなら途上国にまでスポーツを教えに行ってめちゃくちゃ拒絶されるという経験を身をもってしていながらもまた同じミスをしてしまったのである。

 

どうやら私は30を超えた今も「本当の思いやり」が分かっていないようだ。

 

道徳が堂々と教えられるようになるのは,当分先の話である。