教職者K

教育について考えるブログ。

家族にだったら何を言ってもいいと思っている女vs家族であろうとも気を遣って接するべきだと考えている男。

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結婚して3年目になる私だが、妻との意見の食い違うことが多いのである。

 

正直なところ私の中で、

 

学校の働き方改革どうこうよりも、

 

 

いかに妻を怒らせないか

 

 

が昨今の緊急の課題となっているわけである。

 

世界平和を目標としている私なので、「まずは家庭から平和にしたい」と考えているのだが、これが本当に難しい。

 

 

世界平和がいかに遠いかを実感させるほどに家庭の中の平穏が遠いのである。

 

ちなみにその第一歩として本を買って読んだりもした。

 

妻のトリセツ (講談社+α新書)

妻のトリセツ (講談社+α新書)

 

(めちゃくちゃいい本でした)

 

さらに、争いを嫌う私としては出来るだけ穏便にことを運びたいので、揉めた時には何がまずかったのかをノートに書いて分析するようにしている。

 

 

そして色々と分析した結果なのだが、

 

私と妻では

 

 

 

根本的なところで意見の相違がある

 

 

 

ようなのである。以下のようなものだ。

 

 

妻は

 

「家族とはなんでも言い合える存在であるべき」

 

だと考えており、率直に意見を言いあうことを美徳としているわけである。

 

対する私は違う。

 

 

私は

 

「夫婦であろうと他人であることを忘れてはいけない」

 

と思っている。

 

他人が自分のために料理をし、他人が自分の子を産んで育ててくれているわけである。

 

なので言い方についても最大限相手を尊重した言い回しにすべきだと考えているわけである。(他人にストレートに物言わないでしょ?)

 

お互いにこのような理念に従って行動しているわけなのである。

 

それぞれ考えがあって良いと思うのだが、残念なことにこのような考えの2人が一緒に行動すると、

 

 

 

 

私が一方的に言われる

 

 

 

 

 

という構図にしかならないのである。

 

明日から私の地元に帰省するが、前回の帰省の時もそのことを痛感したのを思い出したので書いておくーーーーー。

 

前回の帰省の時、薄毛を気にする私は坊主頭で帰省したのである。

 

当然家族のみんなから聞かれるわけである。

 

家「(いきなり坊主にして)どうしたの?」

 

私「いや、髪薄くなってきてさ。もう坊主にしちゃおうかなって」

 

家「ちょっと見せてみ。いやいや。大丈夫でしょ、これくらい」

 

そういってうちの家族は私のこと(頭皮)を慰めてくれたのである。

 

しかし、うちの妻は違う。

 

帰りの新幹線の中で彼女はこう言った。

 

「あの時、みんな否定してたけどさ、」

 

「なんでみんなあなたの頭皮にそんなに気を遣ってるのかわからないよね」

 

「いや、ハゲてるから。」

 

「何でそんな家族で気をつかうわけ?いる?その気遣い?」

 

もうストレートもストレート。グローブ無しで殴りつけて来るのである。

 

この言葉によるストレスで私はますます薄毛が進行しそうだ。車内で唇を噛み締めて涙をこらえたものである。

 

そして妻のこのような傾向はますます加速している。

 

娘を抱えた今はメスグマのように神経質になっており、連日の帰省による移動や準備のストレスでさらに口撃力が上がっているのである。

 

 

こんなことをここに書いているのがバレたらもう私の命が危ない。

 

 

なので、このエントリーがもしかしたら私の遺言になるかもしれない。

 

 

 

このブログの更新が途絶えた時は、

 

 

 

 

「あいつは星になったんだな…」

 

 

 

と思って欲しいのである。

 

 

追伸

うちの妻は良い人です。(←保険)

本日も読んでくださり、ありがとうございました。