教職者K

教育について考えるブログ。

厳しい声がけは本当に選手に必要なのか。

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バレーボールを専門としている私だが,私の目から見てもバレーボールのコーチングというのは,いまだに古いと思う。

 

 

東洋の魔女の頃からの名残だと思うのだが,アタックナンバー1的指導,というかいまだにスパルタな人が結構多いのである。(私も人のこと言えないけども)

 

私の知る某先生はとにかく選手に厳しい言葉を投げかける。特にミスをしたときなど私の目から見てもなかなかひどい。

 

 

しかし,実際にやっている選手はその先生のことを本当に信頼しており,保護者も納得しているため結果的に退部者も出ない。

 

厳しい練習を乗り越えた子ども達は初心者であるにもかかわらず毎年勝ち上がってくるのだ。

 

だが今の時代に合っていないのは事実で,

 

「あなたのやり方は不快だ」

「それでも指導者なのか」

 

と練習試合を見ていた他の学校の保護者から詰め寄られたこともあるという。

 

こういう指導を皆さんはどう思うだろうか。

 

例えばその先生は選手がミスをした時にはめちゃくちゃ罵倒するのだが,これは選手を伸ばす上で本当に有効なのだろうか。

 

私なりの答えを先日ご紹介した本,

 

スタンフォードの自分を変える教室」

 

の中に発見したのでご紹介したい。

 

詳しくはそちらを見ていただきたいのだが,

 

人はミスをした時に非難されるより,慰められた方がより反省する

 

というのである。

 

なんとなく,非難される方が効きそうなものだが,実際には慰められた方が責任感がますのだという。

 

これについて私は体感的に理解している。

 

私は以前まだ車に乗り慣れていない頃にラーメン屋の駐車場で一台しか停まっていない車に思いっきりバックでつっこんでしまったことがあるのである。

(自分でも意味がわからない)

 

その時私は慌てふためいていたのだが,そのラーメン屋の店主は私に缶コーヒーを手渡し,

 

「まぁそう気を落とさずに。誰だってミスはありますから。疲れてるんですよ,きっと。大丈夫ですよ,これぐらいのこと」

 

と慰めてくれたのである。

 

私はこの言葉を聞いてめちゃくちゃ反省したのである。

 

「うちの駐車場で何してくれてんだ!」と言われたら頭下げて終わりだったかもしれない。

 

しかし,この店主の一言で色んな方々に迷惑をかけてしまったのだと実感し,心から反省した。(営業中にパトカーまで来て…今思い出してもすいませんでした)

 

これをスポーツ指導に当てはめるなら,選手がミスをした時に効果的なのは,

 

非難するよりも慰めたり心情を理解してやること

 

なんじゃないだろうか。だからミスが出た時に,

 

「何ミスしてんだ!ふざけんな!」

 

と声をかけられるよりも,

 

「まぁミスもあるよな。次どうしたらいいか一緒に考えよう」

 

と言われた方がなんとかしなきゃという気になるんじゃ無いかと思うのである。だから私は先に紹介した先生のやり方には反対のスタンスを取っている。

 

 

ちなみにその先生は,

 

「変わらないことを良し」

 

としているようで,これからもその昔ながらのスタイルを変える気は無いようである。

 

現代の部活動が緩くなってきている中で,あえてそのスタイルを貫くことで他との差別化を図っているようである。

 

だとしたら私は、

 

「変わり続けることを良し」

 

としようと思っている。

 

以前と比べたらずっと声を荒げなくなったが,それは私なりに変わり続けている結果である。

 

どちらが正しいというわけでは無いが,こういうチーム同士が対戦すると,どんな結果になるのかというのを実は私はいつも楽しみにしていたりするのである。

 

 

 

追伸

なんでもかんでも慰めればいいってわけじゃ無いでしょうけどね。それで調子に乗るタイプの子もいるでしょうし。そこらへんが難しいところであり面白いところなんですよね。いやぁ面倒くさいけど面白いんだな,スポーツ指導って。今日も読んでくださりありがとうございました!