教職者K

教育について考えるブログ。

「一年生になったら」に対する考察。

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4月だからなんでしょうね。

 

スーパーで買い物してたら「一年生になったら」が聞こえてきたんですよ。

 

あの友達100人できるかなってやつです。

 

あの曲に関しては友達100人作っておいて、富士山の上で100人でおにぎりを食べるってことは

 

その時点で1人ハブかれてる

 

ってことが言われてますけど。(自分を入れて101人のはず)

 

私は教員なんで、もっと教員ぽい目線で考えちゃいましたね。

 

まず一年生と言っても富士山に小学一年生を登頂させるのは至難の業でしょう。それを100人となるとそれはもうほとんど不可能なレベルですね。

 

最低でも中1、いや高一でも苦しいぐらいだと思います。本当は大学一年生ぐらいが妥当でしょう。

 

(しかし、ここでは私が中学校教員なので、中学生の想定で話を進めます。)

 

まず100人ということは、3クラスであると予想されます。

 

そうなると担任3人と、学年主任と副主任、いざという時のために養護教諭。さらに学校代表として校長or教頭どちらかがつくチーム編成でしょうね。

 

なので、この時の100人というのは生徒93名と職員7名と考えるのが妥当でしょう。

 

欠席した7名というのは、不登校やコロナ不安、そして金銭面による負担の大きさからの欠席です。必ずそういうご家庭はありますからね。

 

そして中学一年生だったとしても富士山に登ろうと思ったら綿密な計画が必要でしょう。

 

体力を考えると大人でも2日は必要な山ですから。

 

1日目は五合目までバスで行って、登り始めて、八合目まで着いたところで山小屋に分散で休憩。

 

山小屋はめちゃくちゃ狭いですから、ここで「密」をどう避けるのかという説明を事前に保護者に丁寧にする必要があるでしょう。

 

そして2日目に頂上まで登り、下山して帰校するルートになるかなと。

 

まぁ正直かなり無理をすれば行けなくも無いんじゃないかって思うんですけど。

 

しかしながら、2日にわたる行程で、富士山の上で持参したおにぎりを食べさせるのは難しいと言えるでしょう。

 

2日にわたる行程になるので、日を跨いでしまったおにぎりを子供達に食べさせるのがこのご時世で許されるとは思えないからです。

 

また体力を使い果たしてヘトヘトの子供達に果たしておにぎりだけで足りるでしょうか。

 

調理することも難しいと考えると、山小屋に事前予約しておいて、

 

カレー(1400円)

 

を昼飯としてみんなで食べるというのがリアルなラインなんじゃないかなと思いましたね。

 

 

とりあえず休日にスーパー行ったらそんなこと思いついたので書いておきます。

 

いよいよ今週から本格的に仕事が始まりますけど、今のところはこんなこと考えるくらいの余裕があります。

 

さて、どうなりますかね。

 

ま、頑張りまーす。

 

読んでいただき、ありがとうございました!

 

うまくいかない先生の特徴ワースト1

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これまで色んなタイプの先生を見てきたんですけど。うまくいかない先生には共通点がある気がしたので書いてみます。

 

うまくいかない先生達の共通点。

 

それが、

 

手数がやたら多い

 

ということです。

 

授業にしてもやたら喋る。

 

子ども達が考えてる時も喋る。しかしながらその言葉が子供達に入っていないんです。

 

 

生徒指導についてもそうで、やたら話す割にはクリティカルな言葉が出てこないんですね。そしてうまくいかなくなって悩む。

 

これはボクシングで例えると、素人がやたらパンチ振り回してすぐ疲れてしまっているような状態です。

 

一方でうまい人は相手の出方見ながら一打一打確実なパンチを放りますよね。

 

学年集会みたいに全体で話す場でもそうなんですけど、沢山語ったかどうかは問題ではなく、どれだけ子ども達の心に残ったか、響いたかが大事なわけですね。

 

では、なんでそういう先生達は一方的に話をしようとするんでしょうか。

 

それはですね、

 

子どもから出てくる言葉に対応する自信がないから

 

っていうのが根底にあるんだと思うんですね。

 

子供達っていうのは、訳のわからんことを言ったり、理屈がとおらない発言をしたりしますから、そこをうまく交わしてパンチを放る自信がない。

 

そうなると、攻められたくないから一方的に話すことが多くなるわけですよ。

 

そして、そうなってしまうと自分の発言を挟み込む隙間が無くなってしまうので、対応してもらえない子ども達は嫌になる一方なんですよね。

 

んじゃお前(私)の話は端的なのかっていう話なんですけど。

 

 

私は話が短いことに関しては自信があるんですよね。

 

以前同僚から

 

「君の話は桃太郎で言うと、登場した段階で鬼倒してる」

 

って言われる事もあるぐらいで。朝の会も帰りの会も最速でどのクラスよりも速く終わります。

 

(←それでいいのかっていう問題はありますね)

 

また最近保護者の方と話しててこんなこと言われたんですよ。

 

「以前先生から面談の時に

 

『君は、これまでの人生で努力したことが一度もないんだね』

 

って息子に言われたんですけど。あれは本当に的確でその通りだと思いました。言いにくいことはっきり言ってもらってありがとうございました」

 

これ聞いて

 

控えめに言ってかなりひどいこと言ってたんだな

 

って自分自身にかなり引いたんですけど。

 

 

でもまぁその子との関係性の上にある言葉だし、結果的に感謝されてるからよしとしようかなと。

 

 

だから、まぁ短い言葉でも相手に伝わることが大事だし、そういう意味で日頃から小説読んだり、短歌見たりしてそういうワードとかを自分の中にストックしておくことが大事だと思うんですね。

 

めちゃくちゃ長い名言って見たこと無いじゃないですか。

 

なので、日頃から使えそうな言葉にアンテナを張っているってのが逆にいうと教師としてうまくいくために必要だと思うので書いておきます。

 

さて、今日は年休とったんですけど、本でも読みますかね。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございました!

 

最近一番のそれな。

最近島田紳助さんの言葉の切り抜き動画にハマってんですよ。


www.youtube.com

 

この人引退しちゃいましたけど,本当に物事に対する洞察が凄いなって。

 

そしてそれを面白おかしく伝える話術には本当に勉強になるものがあります。

 

そして私が色々と見ている中で一番

 

「それな!」

 

と思ったことをちょっと備忘録代わりに書いておきたいと思います。

 

紳助さんは上の動画の中で,仕事をすることをF1チームの車に乗ることに例えてこんな風に言っているんですね。

 

「俺(乗る車は)なんでもええねん」

 

「番組のスタッフというのは,優秀なスタッフがいたら,ぼんくらなスタッフもおる」

 

「新番組やってくださいって言われたら,車のF1チームに乗るのと一緒」

 

「その時にいつもマジで思ってることは,」

 

そのあかん車のベストタイムは俺が出さないといけないってこと

 

これ聴いたときにですね、私もう本当に

 

それ〜!それ,それ~!

 

って膝バンバン叩いちゃいましたよ。

 

一方で対談してるまっちゃんていうのはマシンづくり,つまり番組の構成から徹底的にこだわって乗るタイプなんですよね。(ガキ使とかめちゃくちゃこだわってるじゃないですか)

 

でも紳助さんはそうじゃなくて,与えられたものに乗る。それを自分が一番面白くすることにやりがいを感じて居るわけです。

 

そしてこの考え方っていうのは私たち教師にも近いものがあるって思ってんですよ。

 

毎回クラスを任せられますけど,当然いい子もいれば,話が通らない子もいるわけで。こちら側から子どもを選ぶことは出来ないわけですよね。

 

でも,そのクラスのベストが出せるかどうかが大事って思うんですよね。

 

勿論事故ったりコースアウトなんかしちゃった日にはドライバーとしての力量が低いと言わざるを得ないでしょう。(いじめによる重大事案や,不祥事なんかがこれにあたるといえるでしょう)

 

バレーにしてもそうで,最終的にどこまで勝てたかどうか,全国大会まで行けたかどうか,ではなくてそのチームのベストを引き出せたかどうかっていうのが指導者の力の見せどころだと思うわけです。

 

この紳助さんの考え方っていうのは,そんな日ごろから私が感じて居たことをとてもクリティカルに表現してる名言だなと思ったんですよね。

 

そしてこれは同時に思ったことなんですけど。

 

私がこれから乗ろうとしてる車(学校)というのはいわゆる高性能な車なわけで。

 

そうなってくると普通に走ってるだけじゃもうダメなんですよね。周りの人から見たときに

 

「え,中学生でそんなことやれちゃうの?」

 

っていうレベルのことをやらない以上,それはドライバ―として失格でしょう。だって車の性能が高いんだから。

 

他の人から見た時にそう思われるようなことをしないといけないんだなって,紳助さんの言葉から思ったので自分を鼓舞するためにも書いておきます。

 

能力の高い子達乗りこなして,

 

教育界のニキ・ラウダ

 

って呼ばせて見せますよ。

 

頑張りまーす◎

 

読んでいただき,ありがとうございました!

ここが凄いようちのボス。

 

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最近このブログを読んでいるというピタさんという方からメールもらいましてね。

 

前に書いた学活のデータくださいっていう内容だったんですわ。

 

suno200002000.hatenablog.com

 

全く知らない私みたいなもんにメールいきなり送るピタさんの行動力凄いなと思ったんですけどね。

 

さらにピタさんから

 

「やり手の校長先生についてもっと教えて欲しい」

 

っていうリクエストまでいただきましてね。(欲しがりますね~!)

 

確かに今のボスは私が過去出会った校長の中でも断トツで出来る人なんですよ。

 

今の学校でボスから学んだことはとても多いので,私の備忘録としても書いておきたいと思います。

 

題して,「ここが凄いようちのボス」です。どうぞお付き合いください。

 

成功率を上げる

まず成果をあげるためにやってることなんですけど,色んな取り組みの中で分かりやすいのはダンスかなと。

全国小・中学校リズムダンスふれあいコンクール

これ文科省主催でかなり大きい大会なんですね。しかも勝ち進むと芸能人なんかにも会えるので,子ども達は相当喜びますし,自信をつけます。

 

取り組み始めてからわずか2年ですが,すでに全国大会まで出場させているので,これはもう間違いなく成果と言えますね。

 

またそういった成果をメディアを通して発信することにも余念がありません。

 

こういったプラスを作る取り組みをまずしていますね。

失敗率を下げる

そしてプラスを作る作業以上に凄いと思うのが,マイナスを作らないこと。

 

学校では報道にもあるようにいじめの問題だったり,自殺だったり,教員の不祥事だったり色んな問題が起こります。

 

そういったことが起こると,他にどんなに良いことやっていても一気に信用を失ってしまうんですよね。

 

いわば不祥事はマイナスの掛け算なわけです。

 

なのでうちのボスはそうならないためにも徹底したリスク管理をしています。

 

例えば生徒指導案件だったり,不登校生徒への支援で甘いところがあれば,会議の段階で徹底的に詰めまくります。

 

「ここどうなってんの?」

 

「なんでそうしたの?」

 

「こういう可能性は考えられないの?」

 

「ここの聴き取りどうなってんの?甘くない?」

 

そうやって一つの案件に対して細かく質問していって,担当者が答えられないと「はい,もう一度最初からやり直してきて」となります。

 

ここはもう本当に厳しい。我々が気づかないような穴でも見つけますからね。

 

もしいじめ問題が発覚した際には学校がどういう対応をしていてのかが問われますから,その対応が学校として誠意を尽くしたものになるまで徹底して審議を行います。

 

他にもニュースから学校での事故や失敗例を引用したり,他の学校で不祥事が起きた際には新聞記事をコピーして全職員に配布したり。

 

あらゆる手段を使ってマイナスを減らす努力をしていますね。

 

まぁそこまでやっても起こるのが不祥事であり,事故なんでしょうけど。

 

ただそこまでに責任を果たしていたのかっていうのが管理職としての責任が問われるところなんでしょう。この辺の細やかなリスク管理は本当に勉強になります。

教員へのスキャフォールディング

スキャフォールディングというのは教育界で使われる言葉なんですけど。「足場掛け」みたいな意味でしてね。教師などの支援者が一時的に支援することで、学習者に問題解決の力をつけてもらうことを指します。

 

ボスはこれを教員に対してやるわけですね。

 

例えば先に書いたようなダンスの場合,ボスがやりたいと思ったとしても,ほとんどの教員はダンスなんて出来ません。

 

それなら先進的な学校に行って練習を見学できるように手配したり。

 

新しい学習指導要領に基づく評価ができるように講師を呼んだり。

 

研究に関する資料を集めて来てくれたり。そういう足場掛けを提示してくれるわけですね。

 

そしてそういった足場を作ってもらえれば教員は出来るわけです。

 

教員の能力が上がれば最終的にはそれは子ども達に還元されますから。そういった教員への支援も欠かしません。

常に最新を学ぶ 

あと他校を常に見て参考にしてますね。

 

先進的な学校の取り組みを常に見て,購入物やら時程やらも常に良いものを探っています。

 

学会にも入っていたり,ひっきりなしに誰かに電話しているので,常に最新の教育の動向が手に入るのでしょう。

 

そのおかげで前まであった校則が,ボスが来てからほぼ無くなりました。

 

いっそ髪染めてもなんでもいいでしょっていうぐらいまで行ったんですけど。

 

そこについては「流石にそれはやめときましょう」って生徒側から心配する声が上がったっていう。そういうレベルなんですよ。

 

学校の古い慣習を無くすためにも,常に新しいものをみる,こういう姿勢は大事やなと思います。

教育委員会との交渉

学校って教育委員会の管理下にありましてね。

 

なんか力関係的には「教育委員会>学校」みたいに思われてるところがあるんですけど。

 

うちのボスは全くそんなこと思ってなくて。

 

教育委員会と学校は対等」

 

もっというなら,

 

教育委員会は現場のために死ぬほど働け」

 

っていう考えの持ち主なんですね。

 

だからひたすら委員会に電話かけては要求しまくって色んな案件を通すんですよ。

 

それこそお金がかかることだったり,町全ての学校で統一しているために変えづらいものもあるわけなんですけど。

 

その辺も交渉して,学校発信で教育委員会の考えを変えさせてしまうわけですね。

 

もう私が見てる分には「学校(ボス)>教育委員会」というか。それぐらい,委員会より勉強してるっていう自信があるんでしょうね。

 

ちなみにボスの要求によって町全体が3期制から2期制に変わったので,これにより我々は成績処理の手間が一回分省けたわけです。働き方改革ですね。

働き方改革

上にもありますが,働き方改革にも熱心です。

 

一番すごいと思うのが,自分が毎日定時退勤するところ。

 

上司が残業してたりするのは,部下のモチベーションを下げるっていう研究があるみたいなんですけど。(昇進してもあぁなのか…という意味でね)

 

その点ボスはキチッと定時でスパッと帰りますからね。

 

(その代わり緊急時には何時であろうと駆けつけます。酒も飲まないプロ意識)

 

テストとかも減らしたり,業者に任せたり。

 

職員会議の資料も全部ネット上にして印刷する手間省いたり。

 

そんな働き方改革にも力を入れているわけです。

コミュニケーションを取りまくる

あとは職員室にドカッと座ってひたすらだれか捕まえて談笑してますね。

 

部屋によんで個別に話をしたり。そういう1on1のコミュニケーションの回数がこれまでの管理職よりもはるかに多い。

 

休み時間は校長室を開放して、生徒入れて談笑してます。

 

そしてそういうことしてるから細かい変化に気づくんですよね。

 

職員室や生徒の微妙な変化を見逃さない。そしてそれが危険につながりそうな時には,徹底して詰める。

 

それがリスク管理につながっているんでしょうね。

最後に

とりあえず思いついたことつらつら書いてきたんですけど。

 

こう書いてるとさぞかし,素晴らしい管理職に見えると思うんですよ。実際私は本当にすごい人だと思ってるんですけど。

 

ただ実はですね、

 

過去一番教員内の反発があったのも事実

 

なんですよね。めっちゃ反発もあったんですよ。

 

要はいきなり新しい仕事が増えたわけです。ダンスにせよ,メディア対応にせよ。

 

更に校則にしてもこれまでの規則で押さえ込むことに慣れ親しんだ層からしたら違和感があるわけで。「こんな髪型で本当にいいの?」「ルールを守る事を覚えさせる事も大事なんじゃないの?」という人もいるわけですよ。

 

なので特にこれまでの学校運営になれた年齢の高い層からは相当な反発があったんですよね。

 

型に当てはめて運営するタイプですから,自分のやり方にこだわりがある層からすると受け入れがたいわけです。

 

私なんかはもう会議における,そのやり取り見てブルっちゃってたんですけど。

 

当のボス本人はというとですね,

 

 

全く気にしてない

 

んですよね。

 

批判されるなんて少しも気にしてない。何言われてもケロッとしてます。

 

なんというか

 

メンタルが鬼

 

なんですよね。

 

なんというか,そこが一番見習いたいところかもしれません。

 

とりあえず思いついたところをつらつらと書いてみました。

 

また思いついたら書き足しますね。

 

読んでいただき,ありがとうございました!

 

 

 

審判になるなら野球の審判になりたい。

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甲子園やってるじゃないですか。

 

選手の高校生らしいひたむきな姿に注目が集まってるわけなんですけど。

 

でも私は改めて野球っていう競技のユニフォームの特異性を感じずにはいられなかったんですよね。(←どこ見てんだ)

 

まず帽子まで揃えるってレアだなと。

 

野外競技で帽子が必要なのは分かるんですけど、サッカーやラグビーでは絶対かぶらないじゃないですか。

 

テニスとかゴルフとか帽子のイメージある競技もありますけど、ユニフォームとして帽子まで統一してる競技って他にないなって。

 

坊主まで揃えてるのに、それをあえて帽子で隠すっていう。もうめちゃくちゃ特殊ですよね。

 

さらにシャツが前開きのボタン付きだったりするんですよ。

 

バレーじゃあり得ないですね。ボール追いかける時に胸から飛び込むので、危ないですから。前開きだとボタンが胸に当たって痛いんですね。

 

でも野球だってヘッドスライディングで胸から滑るのに危なくないのかなって。

 

さらにベルトですよ。スポーツしてるのにベルト。

 

日頃制服にもベルトしないような連中がしっかりとベルトを着用して試合に望んでるわけです。

 

加えて、夏の甲子園においてはめちゃくちゃ暑いにも関わらず長ズボン。

 

そしてそれを最終的に「靴下にイン」ってもう訳が分かりませんよ。

 

ロングソックスなんですし、いっそ短パンで良いのではないかって思っちゃうんですけど、その辺が野球のプライドなんですかね。ソフトボールとは違うぞっていう。俺たちは走りながらバントはしないぜっていうね。

 

改めて見た時にそんなてっぺんからつま先まで特殊性を保ってるのが野球っていう競技なんだなって思ったんですよ。

 

そして何より納得いかないのはやっぱり「監督も同じものを着る」ってことですよね。

 

還暦過ぎようがどんな爺さんだろうと選手と同じユニフォームを着用する。

 

私が女子部員と同じユニフォーム着てベンチに座ってたら教育委員会に連絡行きますよ。

 

それぐらいおかしな事が野球ではまかり通ってるんですよね。本当に不思議。

 

ただ同時に思ったのが、逆に審判の服装は野球が一番かっこいいんじゃないかって事なんです。

 

他の競技と比較してみたんですけど。

 

まず、サッカー、ラグビーはやりすぎです。

 

まぁ競技の特性上、審判も走らないといけないからなんでしょうけど、走る気満々の格好すぎて、ちょっと審判に必要な厳格さが足りないなと。

 

一方でバスケットは硬すぎるんですね。

 

同じように走る系の審判であるにもかかわらず、あのスラックスに襟付きシャツみたいなスタイルはあまりにフォーマルです。

 

バレーの審判については、あまり動かないのでそのスタイルには合理性があります。

 

しかしながら、胸の真ん中にワッペンてあたりがよろしくない。そもそも真ん中にワッペン付けてる人っていますかね。

 

バレーついては胸の真ん中にデカデカとワッペンがついていて、その審判の階級が一眼でわかるようになっているんですよ。

 

完全なるヒエラルキーが審判の世界でもあるわけですね。だから、なんだかブランド物を見せつけられているような気になってしまってちょっとゲンナリですわ。

 

その辺、野球の審判が一番ちょうど良いフォーマルなのではないかと思うのです。

 

襟付きのシャツにスラックスというカチッとしたスタイルをキャップで崩す…。

 

ドレスとカジュアルなバランスが取れてるなと。

 

いずれ審判になるなら、私は野球の審判が良いですわ。三振のコールとかもカッコいいし。

 

甲子園見てたらそんな事思いついたので書いておきます。

 

どうですか?皆さん。

 

今、最後まで読んだ事を後悔してるんじゃありませんか?

 

読んでいただき、ありがとうございました。

 

小学校の荒れの原因。

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新しく入ってくる子達の引き継ぎを小学校の先生達としたんですけど。

 

これがまぁ、かなり凄いみたいで。何度も保護者召喚してきた子達のようなんですね。

 

授業中の離席は当たり前。教師を無視しておしゃべりをし続ける。

 

注意をするとカッとなって暴れ出す事もあると。

 

(このケースからもわかるように、近年荒れは全国的に中学校から小学校に移行しているんですよ。)

 

よくよく聞いてると、一番手のかかる子は九九が出来ないし、時計も読めない。簡単な漢字も読めないみたいなんですね。

 

もはや、そういう子にとって授業はお経でしょう。

 

だから、ある意味で教室にいる事が奇跡だと私は聞いてて思ったんですね。

 

通級をしてみても、全然うまく行かなかったみたいなんですけど。

 

多分、その子は授業中は他の子に話しかける事で何とか自分を保っていたんだろうなって思いました。

 

そして、これはもう明らかな発達障害であると考えられます。

 

本来は特別支援教室でしかるべき支援を受ける子でしょう。

 

なので、

 

「どうしたらその子に障害があることを親に分かってもらえるか?」

 

を考える教師もいますが、私はそれは得策ではないと思います。

 

だってただでさえ学校に不信感を抱いている上に、さらに自分の子が

 

「あなたのお子さんちょっと障害を持っている疑いがあるので、一回病院で診てもらってください」

 

って言われたら、

 

「は?」 

 

ってなるじゃないですか。

 

もし自分にも思い当たる節があったり、学校を信用してたら受け入れられますけど、普通の子だと思ってるところにそんな事言われたら立ち直れないですよ。

 

もはや単なる侮辱だと取られかねません。

 

よって、より悪い方向に向かう可能性が高いと思います。

 

なので、

 

普通教室でどういう支援が出来るかを考えるべき

 

だと思います。

 

もしかしたら離席という状態を認めても良かったかもしれないし、

 

ICTを用いた支援ができたかもしれません。

 

ある子はスポーツが得意みたいなんですが、運動着を着ないことを理由に参加を認めてこなかったみたいなんですね。

 

私はちょっと違うんじゃないかなと。

 

どんな格好でもいいからまず運動させる。スポーツを通じて成長させることで、いずれその場に適した服装なんて出来るようになるんじゃないかなって。

 

 

格好なんてまずは何でもいいじゃないですか。

 

(とは言いつつも色んな考えがあるから難しいところですね)

 

少なからず何もせずに1時間見学させる事がその子にとって成長につながるとはとても思えないんですよ。

 

これは私自身本当に肝に銘じてることなんですけど。

 

 

障害そのものが問題行動に結びつくことってほぼない

 

 

んですね。

 

 

そういう子が暴れる時というのは、

 

 

障害と提供される教育(環境)のミスマッチ

 

 

が起きてる時なんです。

 

その子は男性の先生にかなり厳しく押さえつけられて来たみたいなんですけど、その事がかえって荒れを引き起こしたようです。

 

引き継ぎの話を聞いてるだけで、その子も先生達も可哀想だなって思いましたよね。

 

その子はその子で困ってるんだろうし、先生達もどうしていいか分からなくて困ってる。

 

今日本中にこういう教室があるんじゃないかなって思います。

 

だからこそ、私が今一番勉強しないといけないと思うのが特別支援教育なんですよね。

 

そういう課題を抱えている子が増えている一方で、障害のスペシャリストの教員がが学校に極めて少ないという問題があるわけで。

 

必然的に環境とのミスマッチが起こる確率が上がってしまっています。小学校の荒れの根本はここにあると私は考えています。

 

文科省も今後は特別支援教育を全ての教員に経験させると明言しているのはこういう背景からでしょう。

 

https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/38236

 

何にせよ、今の時代マストに必要なのが特別支援教育の知識だと思うわけで。

 

春休み中に本でも読んでおこうという自戒を込めて書いておきます。

 

読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

部活がなくなる日。

ちょっと前に出たこの記事読みました?

www.asahi.com

中学校の全国大会にクラブチームも参加可能になるっていうやつなんですけど。

 

私はこれを読んで、これ考えた人相当頭いいなって思いましたし、同時に部活潰しに来てるなって思いました。

 

ちょっと説明しましょう。

 

これをやられると二重登録の問題が必ず起こるんですよ。

 

つまり、スポーツ好きでどんどんやりたい子は部活もやってるし、クラブチームにも所属してるわけなんですね。

 

そういう層の子達は今回の決定で、

 

「お前はどっち(部活orクラブチーム)で大会に出るんだ?」

 

っていう決定を求められるわけです。

 

そうなると、進学もかかってる訳ですから、少しでも可能性がある方を選びたいですよね。

 

顧問もチームメイトも素人の部活より、クラブチームの方が勝ち上がりやすいのは明白ですから。

 

多くの上手な子はクラブチームでの大会参加を望むようになるでしょう。

 

そうなると、部活動はエースが抜けますし、チームとしての運営そのものが難しくなるわけです。

 

当然部活動ではクラブチームには勝てないから過度な競争にも歯止めが掛けやすくなります。

 

これは直接的ではないですが、やんわりとした形で部活動からクラブチームへ移行させる一手であると言えます。だから考えた人凄いなって。

 

ちなみに私自身は部活動からクラブチームへの移行については賛成派です。

 

私は部活動大好きですし、その教育的な価値にはすごく大きなものがあると思っています。

 

しかしながら、その負の側面も否定できないと思うのです。

 

間違った指導によってスポーツ本来の楽しみを奪っている側面もあるのではないかと。

 

体を動かすことは本来人間の持って生まれた生得的な欲求だと思うんですが、部活動というもので競争を求められる事によって、苦手な層はスポーツから離れざるを得なくなってしまう。

 

ジムでひたすらキツそうに追い込んでるのは日本人ぐらいっていう話も聞きますし。海外のジムでは楽しそうに運動してる人が多いのだとか。

 

部活動というもので短期的な成果を求めすぎている事が、生涯スポーツの可能性を奪っていると思うのです。

 

さらに教える側の負担もあります。最近出会った先生は子どもを育てるのに、もはや部活動で土日が無いのは無理だと。だから小学校に移ったみたいなんですね。

 

採用試験の倍率も低下している一方ですから、教員の質の維持のためにも今の体制を続けているのは得策ではないでしょう。

 

部活動には思い入れがある人が本当に多い。私もその1人です。

 

ただ時代とともにもう変わらなければならない部分も相当あると思います。

 

今回の決定で多くの指導者が「え、(クラブチーム出てくるなら)もう全国大会行けねーじゃん」と思っていると思いますが、その諦めこそがある意味で部活動が変わるためにも必要なのかもしれません。

 

私自身これからどういうスタンスでスポーツに関わっていこうか、模索しているところです。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

最近読んだ本についてダラダラと。

最近読んで紹介してなかった本を備忘録がわりにダラダラと書いておきますね。

 

まずこちら。

好きなんですよね、こういう自己啓発みたいなの。

 

7つの習慣がそもそも名著なので読んでみたんですけど。

 

まぁ7つの習慣読んだことあったので、全て知ってる内容でしたね。(←そりゃそうだ)

 

でもまぁ子供でも読みやすい編集になってるかなと思いました。

 

何をすべきかが明確になる一冊です。

 

7つの習慣未読の方、是非どうぞ。

そしてこちら。

 

サウナの効果やその入り方をレクチャーした一冊。

 

あぁ〜サウナ行きたい。汗かきたい。っていう願望があんですけど、なかなか行けないんですよ。子供連れてけるところでもないし。

 

サウナ行って飲み会したいってのが最近のやりたい事No. 1ですね。

 

読んでから行けば効果上がりそうです。サウナ好きな方はぜひ。

そしてこちら、環境について勉強しようと思って読んだ一冊。

 

水野敬也らしいギャグが満載で読みやすい。

 

環境について笑いながら考えられる一冊。小学生でも読める内容だと思います。

 

環境を考える上での最初の一歩としてどうぞ。親子で読むのもいいかもしれませんな。

 

こちら、数学の先生になんかアドバイス出来ることないかと思って読んだ一冊。

 

全体に感じる数学の美しさが素晴らしい。

 

日常と数学をつなげるその視点は、世界の見え方を少しだけ変えてくれる気がします。

 

数学のできる人は本当に頭が良い人だと思いますし、そのセンスって持ってると便利だろうなって。

 

思考のトレーニングとしてもおすすめの一冊です。

 

 

次はこちら。

 

要約すると、高齢化だし、IT化進んでるから働き方を変えていかないとねっていう話です。

 

つい最近、教員も定年が65歳に引き上げられたんですよね。

 

この本にもあるように、働いている期間が長いほど、健康寿命も長いようですから、私は働けるだけ働いていたいなと思っております。

 

問題は雇ってくれるところがあんのかって話で。

 

年取ってから自分で何か事業を始めるのもいいかもな、なんて思いました。

次はこちらのシリーズ。

 

このシリーズ超面白くて、他の地域のやつも読み漁ってるんですけど。

 

世界の情勢がよく分かるんですね。授業のネタが膨らむ。それでいてマニアック過ぎない所がとてもありがたい。

 

というのも、このシリーズ学生に講義で話している内容をまとめたものなんですよ。

 

だから、授業に活かせる部分がかなりあるんですね。大人にも学生にも勉強になる一冊です。

 

世界情勢が目まぐるしいですから、改めて勉強してみようかなって方は是非どうぞ。

 

ということで、最近読んだ本について書いてみました。

 

皆様の読書の一助になれば幸いです。

 

読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

 

卒業2022

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卒業式だったんですよ。

 

今年の私は3年間持ち上がってきた子達を送り出す立場だったんですけどね。

 

教頭先生からは、

 

「俺35年教員やってるけど、3年間生徒持ち上がったこと一回もないからね。」

 

なんて言われましてね。

 

私、9年教員やってるんですけど、これで持ち上がりで卒業生だすの3回めなんですよ。

 

子どもたちの成長を間近で見守ることができる自分て本当に運がいいし、幸せもんだなって思いますね。

 

最後の学年集会では最近このブログで書いた「ノブレスオブリージュ」の話を子供達にしたんですね。

 

『ノブレスオブリージュとはフランス語で恵まれた身分の人に伴う責任を意味している。

 

つまり、恵まれた身分の人は社会に負う責任もまた大きいということ。

 

そう言われて今、君たちは

 

「自分は別に恵まれていない」

 

と思ったかもしれない。

 

しかし、本当にそうだろうか。

 

ウクライナという国では、今、何の罪もない子どもたちの命が失われていて…』

 

 

そう言ったらですね、ふとそういう子供達の姿が頭に浮かんできて。

 

自分でも不思議だったんですけど、子ども達の前で話しながら涙が溢れてきたんですよ。

 

今義務教育を終えようとしている目の前の子たちと、ウクライナの子達で一体何の違いがあったのだろうと。

 

こんな理不尽がまだ世界にあって良いのだろうかって。

 

そう思ったら言葉に詰まってしまったんですけど、何とか話を続けました。

 

アフガニスタンでは仕事に困った父親が自分の腎臓を売って生活費にしている。

 

そのお金がなくなったら次は生まれて一ヶ月の自分の娘を売りに出さないと生活が出来ない。

 

果たしてそういう世界の現実を見た時に、日本に生まれた君たちは本当に恵まれていないのか。

 

何の不自由もなく、義務教育を無事に終えられる君達はそれだけで恵まれてはいないだろうか。

 

だから私は卒業する君たちに、日本人として生まれた役割と義務をこれから果たすことを期待している。

 

君たち一人一人に君にしか出来ない役割がきっとある。だから、それをこれからの人生で見つけて欲しい。

 

そして、その自分に与えられた役割を考える時にこの学校で学んだことや、私が社会で教えた事が少しでも役に立ってくれたら嬉しい。

 

君たちの未来に期待している。

 

3年間ありがとう」

 

そんな話を最後の学年集会ではしたんですね。

 

そしたら、卒業式のあとにクラスの中でもかなり手のかかった子が私のところに来て、泣きながらこう言ったんですよ。

 

 

 

「先生のおかげで夢ができました。

 

 

将来福祉関係の仕事について、人の役に立ちたいです。

 

 

ありがとうございました。」

 

 

嬉しかったですね。

 

というか、こんなに嬉しい言葉ないですね。

 

どんなプレゼント貰うよりも、私は教員ですから、この子の成長がこの言葉から分かって嬉しかったんですよ。

 

その子はきっと私が言った学年集会での話から自分なりの答えを見つけたんだろうなと。

 

こちらの想いをちゃんと受け止めてくれる子ども達に恵まれた3年間だったなって改めて思いました。

 

 

スポーツ選手はオリンピックのために4年かけてますけど、教員はこの日のために三年かけてますからね。

 

本当にいい日だったなって振り返りながら、今帰りの電車の中でこれ書いてます。

 

今日はビールがうまそうですわ。

 

祝杯をあげたいと思います。

 

読んでいただき、ありがとうございました!

不登校の子たちに対する仮説。

最近この本を読んでたんですけど。

簡単に言うと。

 

学力向上、発達障害の軽減、産後うつの解消、老化の抑制、依存症の防止など、

 

ありとあらゆるものに運動が有効であるっていう内容で。

 

一言で言うと、

 

 

 

 

みんな運動しようね

 

 

っていう至極当たり前のことを色んな角度から理屈づけてまとめた一冊なんですね。

 

 

そしてこれを読んで私が思ったのがですね、

 

 

 

不登校の子たちに最も必要なのは、実は運動(エクササイズ)なのではないか?」


っていうことなんですね。

 

同時に多くの学校現場において不登校の子たちに対して運動のアプローチっていうのが少ないんじゃないかなと。

 

ちなみに不登校の要因の第一位は、「学習不安」です。

 

不登校で学習に遅れが出れば進路にも影響が出ますから、限られた本人と教員との接触機会の中ではカウンセリングだったり学習支援なんかが行われる事が多いんですけど。

 

でも彼らが抱えている学習不安というものが、発達障害からくる学習不安なのだとしたら。

 

発達障害に対して、薬を飲むことと同じくらい、もしくはそれ以上に運動には効果があるのだとしたら。(そうこの本に書いてあります)

 

不登校の子たちには運動というアプローチの方がより適切なのではないかって気がしたんですよ。

 

これは私の経験からも言えますが、不登校の子は運動してない子が殆どです。

 

逆に学力が低くても運動している子、部活に熱中している子は通い続けます。

 

それは部活に役割があるから、というのもあるかもしれませんが、運動によってストレスが軽減され、脳が適切な状態に保たれているからかもしれません。

 

不登校の子たちは動く機会が極端に少ないですから、お腹も減りませんし、疲れないので眠気も襲ってきません。

 

ひどくなってくると、昼夜が逆転し、顔も青白くなって痩せ細っていきます。

 

だからこそ、運動のアプローチがもっとあって良いんじゃないかと思うのです。

 

不登校の子の多くが学校に対して恐怖を感じています。

 

しかしながら、人間は走りながら難しいことは考えられないわけですから、

 

極端な話、

 

 

校門に向かって全力で走らせてみたらいい

 

 

と思ったんですね。

 

嫌なら歩いて戻らせたらいいし、行動認知療法の世界でもこれに似た手法が使われるようです。

 

走って疲れれば腹も減りますし、眠くもなります。

 

何より運動することで不登校の子たちが抱えている「学校に行けない」という大きなストレスの軽減になるはずなんですよ。

 

なのでね、文科省不登校の子たちが学校に来たら

 

 

 

 

 

ビリーズブートキャンプ

 

 

をやらせるように今すぐ通達を出すべきですね。

 

ビリー隊長に心身ともに鍛えてもらう。

 

そしたら、もう間違いなく、

 

 

 

 

 

 

 

次の日から来なくなりますね。

 

 

その辺が難しいとこなんですけど。勉強も運動も苦手って子多いですからね。

 

何にせよ、本人が楽しめる範囲のエクササイズを提案するっていうのが、学習支援よりもよっぽど大切なんじゃないかって思ったので書いておきます。

 

 

本日も読んでいただき、ありがとうございました。